12.31.2004

ではまた来年

これから、カミサンの実家で2泊してきます。
皆さんにとって、来年もいい年でありますように。
それと、今年はお疲れ様でした。

12.29.2004

サーカス団員は命がけ

家族と後楽園で、ボリショイサーカスを見に行ってきた。休暇に入ったばかりだったので、午前11時半の公演を見ることにした。予約もしていなかったので列で待つことを覚悟していたのだが、殆ど並ばなかった。案外オフピークだったのかもしれない。

今回の来日は「動物サーカス」がメインのテーマだったそうだが、人芸もちゃんとあった。それぞれのパフォーマーは10分くらいの持ち時間で技を披露するのだが、みんな最後には大技を繰り広げる。ジャグラーのお兄さんは最後に、コロコロ転がる鉄の筒を3つくらい積んで、その上においた板に立ち、足のバランスをとりながらボーリングピンをジャグリングしようとした。それなりにドキドキしながら見ていたのだが、実はお兄さん、1回目はバランスを崩してコケてしまった。観客は息を呑む。日本人らしい反応というか、皆「どうリアクションしてやればいいんだろう」状態。拍手をしてエールを送るべきか、それともブーイングか。まぁ客はどうでもいいとして、お兄さんは苦笑いをし、手を振って、もう1回。すんなり決まった。空中ブランコでも同じような場面。最後は空中で3-4回転して向こう側のブランコの人につながる技だが、スポッと手が抜けてネットに落ちてしまった。ブランコのお兄さんもにっこりして、すばやく高台に戻り、同じ技を成功させる。

たとえが悪いかもしれないが、テニスのダブルフォルトを思いだす。1度間違えた後は「決めなければ」というプレッシャーが相当重いはずだ。ただテニスとは違って、成功を優先して2回目は甘いサーブをする訳にはいかない。並のパフォーマー根性でないことは良く分かった。あと思ったことは、この人達プロはプロだけど、それでも失敗のリスク有りの、限界の技を出していること。コケたからといって、この人たち、決して下手ではないのだ。なんたって国立なんだし。とにかくスゴイ人たちなのだ、カミサンの情報によると。頂点の人で、どこまでも自分を追い詰めてやることはスゴイなぁ。

12.27.2004

ワイドショーのBGM

「ワイドショー大好き!」と真っ向に発言する人はそっち方面の奥様方でもない限りあまりいないと思うが、ついつい見てしまう人は結構いるはず。内容の浅さや好き勝手な情報操作はまぁ誰もが分かっていると思うが、今日は別な側面からワイドショーというものを批判したいと思う。

今朝の「とくダネ」。この番組の特徴、基本的に「人死ぬ系」のニュースがトップの場合、いつものオープニングの明るい音楽を省く。当然今朝はスマトラ沖の津波の話で始まるのだが、音楽なしで始まり、小倉アナウンサーはいつもの不自然にピッチの高い「おはよぉぉざいや~す」ではなく、敢えて低い声でぼそっと「おはようございます」である。どうせ芸能ネタに話がうつれば、「いやー、暗い話はさておきましょうよ、はっはっはっ、それでモー娘がぁ」といつもの頭悪い展開になることはわかってるんだけど(おすぎが隣で待ち構えているのだ)、ここまではワイドショーなりに、まじめな話だからしっかり扱ってるのね、と思える。では、VTRを・・・。ドドンドンドン・・・ドドンドンドン・・・。モワ~~~~。「昨夜日本時間のx時ごろ・・・」B級映画だぁー。このオープニングだけで、フィクションの香水がかかった現実となり、肝心な現実感、生々しさ、事の重大さがメタメタに壊されてる。ニュースならニュースらしくドライにやればいいのに・・・。敢えてこのようなチープなBGMを入れる必要がどこにあるのか。無くても十分衝撃的なストーリーではないのか。それともバラエティー感覚を織り込まないと人が見ないということなのか。こんなんじゃあ、見てる人、ましてや被害者はかなり不愉快なのでは。それとも、こうでもしないと視聴率が取れないのか。いずれにしても悲しい取り扱いだと思いました。大げさだとは思うが、ある意味、音楽の悪用だと思いました。

不祥事で騒がれてるとはいえ、ニュースを一番まじめにやってるのはやっぱりNHKなんだなぁ。

12.22.2004

行きつけの店

最近、行きつけの店が出来た。実は、どこまでが「良く行く店」で、どこから「行きつけの店」と呼んでいいのかはっきり分からないが、ご主人とお上さんと話してるうち、お互いの家族構成くらい知る仲にはなったので、まぁこの際「行きつけ」と呼んでしまおうかと。

バーとか、洒落たものではない。昔ながらの洋食屋さんである。敢てハンバーグを箸で食べるようなところ。ご飯と味噌汁とおしんこが当たり前のようにでる。派手さはまったくなく、いたって真面目な味付け、まさに見て味が分かるというやつである。主人も奥さんも口数は少なく、BGMはくたびれたラジカセからのクラシックやジャズ。カウンター席から見える厨房の冷蔵庫には大きな看板「携帯は外でお願いします」。見回す限り客に要求される掟はこれだけのようだ。

先週末、前の会社の友達O君がウチの子供に合いにきたので、その後二人でその店で昼飯を食べた。O君とは入社時が近くて、3年間くらい同じ部署で働いた。証券会社でM&Aのアドバイザーの仕事と言ってもピンとくる人も少ないかもしれないが、とにかく下の人間としてはハードな毎日だった。数々の徹夜、修羅場を一緒に経験した仲間なのでその気になれば思い出話は絶えない。そういう仲間だからこそ、変に見栄っ張りなことはしたくなかったし、普通に美味しいものを普通に食べて普通に話したかった。

この店があって本当によかったなぁ、と思えてきたのでした。

12.21.2004

ジャパニーズ・クリスマス

イリュミネーションやバーゲンセールのピークのピークのピーク。会社の忘年会で六本木ヒルズのレストランに行ったが、白と青のキラキラが植木にもビルにも満遍なく飾られていた。どっちみち東京はビルの明かりで十分キラキラしているのだ、なぜ増やす・・・。目が痛いじゃないか。「売るぞー、売る売る売る、から、買えー、買え買え買え」とあからさまに言わんばかりに、やる気満々である。自分に言わせて見れば平和なクリスマスの雰囲気台無しである。それはきっとありきたりなコメントであって、今更日本人に「キリストがさ、誕生日でさ」という話は通じないのは分かってる。クリスマスの消費の起爆剤としての社会的役割がもう根付いているのだ。ぶっちゃけこの点、ため息を漏らすことしかできない。

余談ですが、私の父親はもうすぐ定年しつつあるキリスト教の牧師です。元々は日本の郵船会社の部長職まで昇進したのだが、ある日ポツリと辞表を提出し、家族をつれてアメリカに渡り、ニューヨークにある神学校に入校した。まぁそういうこともあって僕自身もキリスト教の幼稚園に行かされたり、小さい頃は教会にもつれて行かされました。ただ、今ひとつ心に根付かなかった。いや、根付かなかったというより、好きな部分だけ自分への教訓としてパチッたつもりである。「殺しちゃダメ」、「人のもの盗んじゃダメ」、「他人に対してやさしくした方が世の中暮らしやすいんじゃないの」程度のポリシーは、当たり前だけど敢えて植え付けられてよかったと思う。ただ、アレなのよね。集団化して意味があるのかが自分の中で大きな疑問であって、その答えがわかるまで「宗教」というものには心を入れないようにしている。

12.20.2004

フラストレーション

久しぶりに凹んだ。久しぶりに日曜夜の練習だったのだが、疲れていたのがまずよろしくない。いつもは多少疲れてても演奏を始めるとすぐシャンとするのだが、昨夜は全然ダメだった。既存の曲はかろうじて練習らしい練習ができ、細かい編曲を少し加えることができたが、問題は新曲だ。自分がボーカルラインを固めてないのと構成を覚えていなかったのが悪い。となると、周囲は混乱し、まともな進歩はなかった気がする。自分が担当している新曲もひとつあって、これのイメージを上手く伝えられず、またしも混乱。多分自分が一番イライラしていて、練習の終わりではちょっと悪い雰囲気にしてしまった+やけのヤンパチで八つ当たり。メンバーさん読んでいたらごめんなさい。帰宅後、30分くらい部屋の椅子で放心状態、腐ってみる。なーんか、もっと上手くお互いコミュニケーション取れないのかなぁ、なんて思ってたりして。

次週はまた新たな気持ちで出直します。出直してやる。ちくしょう。一人でモクモクしててもしょうがない話だ。ケイスケ、頑張れ。おー(←馬鹿)。

言い訳じゃないけど、改めて「みんなで曲を作ること」がどれだけ難しいか痛感した。当たり前だけどバンドメンバーは生身の人間であって、ロボットじゃあない。かといって「適当でいいよ」ってわけでもない。自分が作曲者としてどのような「イメージ」に到達したいかを適切に、分かりやすく伝えなければならない。なおかつ皆のプレーのスタイルってものを理解しなきゃならない。ひとつでも欠けてると、当然いい曲にならないし、誰かがアンハッピーになりかねない。

このポストをバンドのhpに乗せようか迷ったが、極めて内向的なしこりなんで自分のブログに書くことにした。まいどお騒がせでした。

12.17.2004

習うこと、応用すること

毎日家を出るときにカミサンと息子に見送ってもらっているのだが、必ず息子と目を合わせて「バイバイ」というようにしている。今まで全然反応なかったのが、先日初めて私に向けて手を振った。振った・・・というよりは手を前に出して手首をクネクネした、といった方が正確かもしれないが、おそらくバイバイをしていたのだと思ってる。

私の母親にこの話をしたところ、「本人は毎日見てるわけだからずっと分かってるのよ。今までは自分からやる気がなかっただけ」という。結局「知ってる」と「やる」の間にはやる気という引き金が必要、ということなのね・・・。息子は多分、気まぐれでたまたまその日手を振ったのだと思う。きっと、モチベーションだとかそういう世界じゃあない。「パパとコミュニケーション取りたいっ!」という意思がこうさせたと言いたいけど、それは多分僕の思い上がりになるだろう。ただ、ものすごくリアクションしてあげたから、面白半分で今後もやってくれるだろう。

12.16.2004

アルバムという概念

先日会社の忘年会だったのだが、非常に気前の良い上司は従業員全員にクリスマスプレゼントを渡し、彼は私にアップルのipod miniをくれた。午前0時くらいに帰宅したのだが、意識モーローな状態で、洒落た包み紙をはずして本体を取り出してみた。案外付属品が少ない。ひとまずホッとする。説明書が一冊にまとまってることがまず非常にありがたい。第一印象は「かぁーいぃー↑」。軽くて、手のひらサイズで、親指一本の操作がとても簡単で楽しい。この場でアップルの宣伝して、これもまた実に馬鹿な話なのだが、本当に良いデザインだと思った。結局午前2時過ぎまでCDをipodに落としこむ作業をしてしまった。またもや無意味な夜更かし。通勤、30分だけなのにおそらく10時間分のCDをぶっこんだのではないか。

正直な話、プレゼントとしてもらっていなかったら、多分この手のものは買っていなかったと思う。簡単な話、音楽鑑賞に関しては多分、若干古い人間だと思ってる。アルバムという商品が好き。未練に近いものもある。ジャケットのデザイン、ライナーノート、歌詞ももちろんだけど、何よりも60分前後にわたってじーっくりアーティストの音楽を聞くことに意味があると思う。偏見だけど、ちょっとでもいいアーティストであれば4-5分の一曲に「俺は人生全てをこの一曲で表現する」なんて人はあまりいないと思う。アーティストの色んな側面が見れるからアルバムが面白いわけであって。もちろん、ハズレまくる寄せ鍋的アルバムも世の中あるけど。

そこでipodが問題にな(りつつあ)る。通勤中気づいたのが、無意識に曲をピッピッ飛ばしてる。まるで30分の通勤時間の中で、「あ、これも聞かなきゃ、次はあれ」とせかされてる気分である。便利すぎて、自然と「この30分間で絶対俺のベスト曲を聴くぅぅぅ!」と燃えてしまうのである。効率的になりゃあいいってもんじゃない、といのはこういうことを言うのだと思う。テクノロジーに、足元から救い上げられた気分で、少し反省した。馬鹿だけど、アーティストにも失礼だったと思う。これじゃあ、ベスト40を鉛筆なめなめしながら選んでるラジオ局と変わらないもんね。聞き手の心が疎かだったね。

ということで、ipodを使うにあたって、なるべくあのクルクル君にできるだけ振り回されないようにする。あくまでもアルバムを聞いてる気分でいようと思う。それと、当面はダウンロードには手を出さないだろうと思ってる。今後は上手くコイツと付き合って行きたいと思う(上司よ、ありがとう)。

12.14.2004

マーケティング

果たして音楽の聞き手となってもらいたい人、いわゆるターゲットマーケットは誰だろう、と思った。きっかけは以下の、somatoneの掲示板へのエントリー:

私的にもっとも感動した時の「かっこいい!」を送りたいと思います。
次々と良い曲つくってください。
あえていうと聴く人を選ぶバンドですか?「80年代→凡ジョビ、版ヘイレン」
という連想の人には(そういったバンドも悪くはないと思いますが)馴染めな
いのかもしれません。そういう人もぐいぐいひきこむバンドになってください。
またいつか成長のようすを見にいきます。


まずは、非常にありがたいお言葉である。

僕らは今のところ、多少ステージを考えて曲を組替えるものの、基本的には単純に自分達が良いと思える音楽を作ってる。その方向はそれなりに正解だと思うし、今はあまり方向転換したくない。ただそれと同時に、実は言うと僕らが目指す音楽に対する市場ニーズも決して無くはないとさりげなく僕は思ってたりする。上手いだとか下手だとかカリスマある・ないとは関係なく、「シリアス」な音楽を受け付ける人はいると思う。きっかけがないだけであって。だって、ワメくようだけど、最近の邦楽を聞いてると、元気付けだとか無条件なやさしさといった、決まった極端な感情をリスナーに押し付けてるような気がするし。他の感情をかき消すような「濃い口」だと思う。いずれはストレートに、ありのままの感情と向き合うための音楽も受け付けられるのでは。ちなみに、勘違いしてほしくはないのだが、これは「シリアスな音楽」全般についてであって、決して現状の僕らの音楽に人が押し寄せてくるなんて思ってない。まだまだまだまだまだだと思う。まだまだまだまだだってば。

ただ、あくまでも「試してみるか」、とリスナーの心が開いてないとどうしようもならん。すなわち、「思い出の音楽」とまったく縁のない音楽を一切受け付けられないマーケットを捉えるのは非常に難しいと思う。ということで、多分、今後バンドを売り込むことにあたって、ひとつの大きな課題はいかにライブハウスに普段踏み入れないような人に対して「きっかけ」を作るかだと思う。

なんか性格の悪い評論家みたいだけど、がーーーっと書いてみた。

12.10.2004

ダイエット

突然でアレだが、私は顔にまったく自信がない。ブチャイクちゃんである。なら、なぜわざわざ写真を公開するのかというと、仮にカッコいいことをブログで書いたとしたら、顔もかっこいいのではないかと期待されるのがイヤで公開することにした。逆に、ダサいことを言ったら、諸君も「あー、まぁ、この顔じゃね」と許してくれちゃうのかなと。実に不誠実な理由ばかりだが、まぁこんなところである。ライブに来てがっかりした人にはごめんなさい。

顔は顔でどうしようもないっちゃあどうしようもないのだが、一方で体系はどうか。私は大学時代から現在に至るまで目まぐるしく、10キロ以上太ったと思う。これではさすがにマズいと思い、最近はダイエットにチャレンジ中である。マイクロダイエットといい、簡単に説明すると朝飯・昼飯は普通に食べ、間食はナシ。晩飯は抜きで、その代わりに尋常でないまずさのシェークを飲む。そもそもこのシェークをシェークと、おいしそうなネーミングをつけることが腹立たしい。なので僕の中では「シェークもどき」、「えせシェーク」、「シェークになれなかった君」等と呼ぶことにしている。1ヶ月ちょっと続いているが、体重計に乗る勇気はまだない。最終的には「あれ、すっげーやせてない?」と誰かに気づいてもらうまで待つことにすると思う。一応、自分を棚に上げておくと、健康のため、という理由も無くは無い。一応。ハイ。

なので。今度ライブに来てくださる人は、残念ながら顔は変わらないものの、若干やせた私を見ることになります。きっと。さりげなく誉めてやってください。

12.07.2004

はまった

ライブが終わったと思ったらデカ目の仕事が振ってきた。タイミングがあまりにも良すぎる。神様、私何か悪いことでもしたのでしょうか・・・。まぁ良い。やっつけたる(全然態度が悪い)。

「日常生活」(家族、仕事など)にもまれることは必ずしも悪いことでないと思ってる。自分が嫌いになったり、ウツになったり、シニカルになってしまうとさすがに問題だと思うけど(そういう方はキャリアや家庭環境の見直しをお勧めします)。我慢、って思った瞬間に被害者妄想紙一重。すごくロックじゃない言い方だけど、過程が大事なんだと思う。たとえ最終目的が音楽だとしても、生活だって人のカラーを引き出す大きい過程だということは否定できないと思う。一瞬のライブよりも、毎週繰り返される練習の積み重ねの方が大きいように(私見)。

・・・なんだか説教っぽくてすみません。結局自分に言い聞かせてるだけなのかしら。

12.05.2004

初ライブを終えて

赤坂にある小さなライブバーで初ライブをやりました。15時にリハ入り、17時開始。4バンドの内2番手。本当にあっという間だった。ギター君が作ってきたノイズで始まり、1曲目ceilingsでフェードイン。弾き始めてからその後ははっきり覚えていない。これという大事故は幸いなかった(と思う)。演奏の出来具合は、良くも悪くもいつものリハーサル並みか。でも少しボーカルにコブシが効きすぎて反省。落ち着かなければ。

本日一番印象に残ったお客はベースさんのお母様。とても上品な方で、一人で来てた。挨拶しに行ったら、「いつも聴いてます」と言われる。びっくりした。後々ベースさんからも「なんでも聴くのよ、うちのお母さん」と聞かされ、本当に意外なところで聴いてくれてる人がいるんだなぁ、と。こういう人が来てくれるんだったら人前で演奏するのも全然捨てたもんじゃない。あと、かなり久しぶりにメンバー募集中に出会ったtさんとイ君。二人からも良いお言葉をいただいて、本当に嬉しかった。会社の先輩のTさんも応援にかけつけてくれた。

運が良いのか悪いのか分からないが、対バンの人がビデオをたまたまとっていて、テープ代300円で購入。証拠を他人の手に残すわけにもいかないので即決だった。帰宅してから見てみると・・・(爆)なんぢゃこれはぁああああ。ボーカル君、ななめ向いてないで前見ろよ、前。あぁ違う、前だってば。ああ恥ずかしい。あと、mcがアカンの一言。なに照れてるんだ、チミ・・・。実に俺カッチョ悪かった。いつか自分の映像を見て恥ずかしくなくなる日は来るのでしょうか。

まぁ、課題は山ほどあるが、スタートラインについた。反省を済ませて、次だ次。

12.04.2004

ライブの前夜

今日、ライブ前の最終調整を21時から笹塚のスタジオでやった。ひたすらセットリストを繰り返すだけの練習。みんな仕事で疲れているのにも関わらず普段以上の集中力で演奏する。お世辞でも完璧とは言えないが、できることはやったし、胸を張ってライブできると思う。

練習後は、当日の待ち合わせ場所などチョコチョコ相談するが、沈黙が多い。おそらく一番緊張しているのは自分(笑)。今日一日中、練習で何かカッチョいいこと言ってみんなのモチベーションを上げたいっ、なんて思ってたが、結局「明日はがんばりましょー」と味気ないコメントをしてしまう。まぁ、そんなのはどうでもいいんだよ。きっとみんなのボルテージは既に上がってる(はず)。

23時過ぎに帰宅、カミサンと子供は寝てる。子供が少し発熱した見たいだ。悪かったなぁ、と思うと同時に理解あるカミサンに感謝感謝。音楽に特に興味があるわけでないのに、「がんばってね」と言ってくれる。あまりおセンチになってもしゃあないのだが、この人でよかったなぁ、なんて考えてみる。

ブログを書き終わったら、エフェクターの電池交換して歯を磨いて寝る。

明日何か新しいモノが見えてくるかな。

12.02.2004

人間の小ささ

昨夜、今週のライブで配るための歌詞カードの準備をした。A4紙に両面印刷して、三つ折りにしたヤツを作ったのだが、パソコンでファイルは案外早くできたものの、印刷と三つ折りが予想以上に大変だった。仕事から帰ったのが21時くらいで、TVを見ながらやってたら作業はすっかり夜中を回ってしまい、おかげで今朝は見事に遅刻。マンガじゃねぇんだからよう・・・。

黙々と三つ折りをするのが、異様に楽しかった。手先は決して器用ではないのだが、三つ折りって結構難しい。3等分に分けるのは大いにカン任せである。そして最後に角と角を合わせて、すーっと人差し指で折り目を作る。最初の数枚は出来上がりの幅がバラバラだったが、最後の数十枚はビシーっとそろってる。そのうち得意になって、「よし」なんて独り言が漏れる。最後は全てのカードを束にして、重い写真のアルバムみたいなのを載せてつぶす。俺は内職おばさんか・・・。

バンド活動のこういった側面はすごく好きだ。自分で言うのも変だが、あのわずか40部の歌詞カードには心がこもってる。その心がお客に伝わるかどうかはわからんけど(なに、kinko'sにでもいったの?て言われたらショックだけど)。ごく当たり前なことなんだけど、バンドを売り出すことにあたって、自分たちが一番積極的じゃないと何にも起きないと実感した。今後もそのポリシーは守り抜いていきたいと思う。音楽だってそう。細かい楽曲のアレンジとか、自分たちがこだわらなければだれも気にしちゃあいない。客前にいる時間は30分だけかもしれないけど、その準備にかけた時間がモノを言うのではないかと改めて思う。

というわけで(どういうわけだ)人間の小ささも好きだったりする。ちゃんちゃん。