9.29.2008

業務連絡:ライブとCD

10月11日(土)の夜、代々木のlaboでライブできることになりました。

さてさて。さぁーて。

ライブだぁ・・・。どうしよう。

ご都合がよろしければ是非イジメに来てください。
多分、よろこびます。

10月11日(土)
live labo yoyogi
http://www.yoyogi-labo.com/

どうやら間に合ってしまいそうなので、開場で次のCDを持って行きます。いつものですが、是非もらっていってください。郵送をご希望の方はメールでお名前と住所を送っていただければ、無料で一枚お届けします。ではでは。



the hinsi etude by cayske hinami
"these neon lights lead to lurid places"

1. ill kiss this kiss

9.28.2008

カラ回る占い

ふと思い出した言葉があります。妻から聞いた話。
結婚してから、あまり経ってない頃だったかな。

私の妻は占いとかおまじないが好きで、結婚する前にどこかの名の知れた占い師さんにこっそり僕の姓名判断をしてもらったそうだ。ようは、多分、将来この人は浮気するかしないか、だとか、お金にだらしないかどうか、家庭内暴力の恐れがあるかないか、等々。少し脱線するけど、結婚の二文字にまつわる不安要素というのは掘れば掘った分出てくる。今思い返せば、多少の勢いなくしてとてもじゃないけど出来なかったことと思う。ただ幸い、占い師の結果は平たく言うと「この人全般的に地味」だったらしく。ただ、一つだけ意味深な表現があった。

まぁ人並以上の悪さはしなさそうだけど、

という前置き付きで

相当女が好きね

とのことだった。はて。一の異性愛者として、そりゃ女は好きだけど、だけどだけど何を持って取り分け「女好き」なんだろう、と内心思った。どちらかといえばマザコン、だとは思うが。綺麗なお姉さんが目の前にいれば、多分人並みにドキドキする。フーゾク屋さんは緊張するから嫌い、てか無理。プラトニックな女友達はいる。どれをとっても男子の5割以上が言えることではなかろうか。今でも、あの言葉が結局何を指していたのかよく分からないでいる。異性からモテモテでないことだけは確かだ。

女っぽい、ということかしらん。

占いを毛嫌いする人もいる。あんなのイカサマよ、と。

僕は、どこかしら占いは当たるかもしれないので、嫌いではないけど聞くのが恐い。

9.24.2008

カクテルの汗

夢にしては鮮明すぎた。

目が覚めると、美里はベッドで横たわったまましばらくポカンとしていた。風景が、記憶に焼きつかれたようにハッキリ残っていた。美しい砂浜、透き通った青い海、強い日差しで焼かれたローションの甘い匂い、そしてその匂いに絡み合うピニャコラーダの後味。

何かのオボシメシかしら。
オボシメシであってほしかったフシもないでもない。

美里は次の長期休暇で、一人でハワイ旅行をすることにした。友人に言うと根掘り葉掘り聞かれるのがオチなので、夢のことも旅行のことも伏せておいた。同行する異性も、その時思い当たる者もいなかった。誰でも良いわけではなかったので、誰ともいかないことにした、それだけのこと。

そして数ヵ月後、ワイキキビーチを自分の裸足で確かめる日が来た。
右手に持つピニャコラーダのグラスから、汗が滴り落ちていた。

完全な正夢、とは言いがたかった。砂浜は確かに綺麗だが、見渡す限りの人ごみで隠されていて、感動は幾分小さかった。美里は、溶けた氷で若干薄まってしまったピニャコラーダを飲み干し、小さなため息をついた。自分でローションを塗り、しばらくビーチを満喫することにした。

いいのよ、ここはハワイに変わりないのだから。
ハワイはハワイよ。

ホテルの部屋に戻ってから、一人の食事を済ませ、シャワーを浴びた。やっぱり、誰かと一緒に来た方が良かったかしら。勢い余って4泊の宿泊予定を立ててしまっていた。まだ8時だ。部屋でジタバタしていても仕方がないので、ホテルのバーに向かった。ナンパの一つくらい、土産話として持ち帰りたいと考えた。日本人の観光客も案の定たくさんいるというのに、思いのほか美里に声をかける者は一人もいなかった。彼女をちらちら見る男はいたが、まるで背後霊を見たかのようにすぐさま目をそらすのだった。まるで、敢えて彼女を一人でいさせるために。酔いも早く、美里はギムレットを2杯飲んで部屋に戻り、ようやく眠りについたのは午前0時だった。

数ヶ月前に見た風景が、再び夢に出てきた。

その時、何一つそつのない景色を眺めている夢の中の自分が
満面の笑顔に変わっていたことも分かっていた。

9.15.2008

小さな出会い

東京都内に住む戸坂ミナミ、27才。夫は単身赴任で名古屋にいる。
今この瞬間、人生でこれ以上とない焦りを感じている。
陣痛がはじまったのは朝の4時半ごろ。

準備は万全のはずだった。かけつけの病院の住所、入院用のトランク。あとは、救急車をよぶだけ・・・のはずだった。昨夜見たテレビ番組が良くなかった。ワイドショーで、ある患者が救急車にのったまま病院にたらい回しされ、結局亡くなってしまっている。戸坂ミナミはふと思った。

タクシーで病院に直接いけば、さすがに追い返されることはないだろう。
タクシーを拾った方が、幾分早いかもしれない。

戸坂ミナミは大きなトランクをかかえて、家から近くの大通りに出た。こういうときに限ってタクシーがなかなかこない。こんな時間でも少しは通っていてもおかしくないのに。5分待つ。それから、また5分。陣痛の間隔が短くなっているのを感じる。あたし、失敗したかも・・・。今から救急車に電話しても、また更に5分くらいはかかるだろう。

今すぐ、どうにか病院に行かなければ。

そこで現れたのが、ブルーのゴミ収集車だった。
従業員二人は、必死に手を振る戸坂を見て、目が点になった。

9.11.2008

クラシックとSM

クラシック音楽、大好きなんだけど難しいと思う。
何が難しいって、まず曲が覚えられない。

誰々の交響曲変ほにゃらら短調第xx番第xx楽章ほにゃらら。

どこの国の住所ですかって。ラジオを聞いてて、「これ知ってる」、とか「これ好き」と思うことは多々あるが、もとより弱い頭の中では「これ」という整理の域から進歩はなく、聞きなおしたいときに後悔するケースが絶えない。音大生かプロでもない限り、とっつきにくい性質のものと思う。まぁ、かといって突然「セクシーSM天国」なんてインパクト重視に走られてもかえって困るのだが。実に困る、えへへへ。うーむ、けしからん。

でも、好きだったら自然に曲名くらい覚えろって感じですよね。

今のところ誰もセクシーSM天国イ短調ほにゃらら楽章を創りそうな気配もないので、僕に残された選択は、若年ボケが深刻にならない内に一旦棚卸しするしかないと思った今日この頃です。最近は好きな音楽とであったときはメモをするなり、せめて作曲家だけでも、頭にヒントを叩き込もうとしています。

仕方がないことなのは分かってるのだけど、何かとお堅い感じだよなぁ。冗談抜きで、少しマゾ寄りだよなぁ。死ぬほど苦しい練習してタキシード着てハッタリかまして、はるか昔に亡くなった作曲者の描いたイメージを追求する。本当に大変なことと思う。多分、そう思ってるから、どんなに明るい曲を聞いててもワクワクすることはあまりなくて、どちらかというとため息をついてしまいがちです。

そんなのが好きな僕は、もしかしてマゾ寄りなんじゃないかと思う。

9.08.2008

テーブルマナー

荒山氏は、砂漠を一人で歩いていた。四方を見わたす限り、波打つ砂丘。親の仇をうつかのように巨大な太陽がこの小さな男に睨みつけ、一日も歩いていないうちに、目立った抵抗もなく屈服しようとしていた。意識が途切れ始め、足が重い。

数分前は、遠い空のゴマ粒にしか見えなかったものの正体が、ハゲタカの群だと分かった。7、8羽くらいか。いまは荒山の頭上をゆったりと回っている。やがて一羽が、降りてきて、荒山の側を歩き始めた。目を一切合わさずに、ただ明らかに荒山を意識した軌道で、真っ黒なコートを羽織った老人のようにひょこ、ひょこと歩いていた。

お前が、見張り役か。おそらく、荒山が死ぬタイミングを見届けてから仲間を一斉に呼ぶのだろう。荒山が渇いた口を開いた。

「こんなに立派な口ばしと爪を持っていて、この際、死ぬのを待たずに食い殺せばいいことだろう。」

荒山が言葉を発した瞬間にハゲタカはギュルっと首をひねらせ、頭をかしげながら荒山を見つめた。あなたを食い殺すわけには行きません、と。自然の摂理ですから。ひょこ、ひょこ歩き続ける。

「簡単なことだろう。」

簡単か難しいの問題ではないんですよ、荒山さん。ひょこ、ひょこ。

「死ぬのを待ったら、残るのはわずかの骨と皮だけだぞ。今食らった方が腹が満たされるだろうに。」

食料の量の問題でもないんです。ひょこ、ひょこ。

「どうしても待つというのだったら、勝手にしろ。」

私たちだって、出来るものならば新鮮の肉を狩して食べたいと思うのですが、残念ながらその勇気がないもので。罪悪感、というか、気持が悪いというか。

「ハゲタカに罪悪感、か。」

何かおかしいですか?

「いや、別に。」

あなただって、自ら食べるものを狩して食べたことが、はたしてあるでしょうか?

9.04.2008

あなたはやさしい子

ヒナミケイスケです。知人から聞いた怖くなかった話です:

西夫妻、明弘と今日子はそれぞれ19才、18才のときに結婚した。二人とも当時は学生だったが、今日子の妊娠が一つのきっかけでもあった。ただそれはさておき、二人は深く愛しあっていたので、いずれ結婚するのは時の問題。ならば、我が子が誕生するときは夫婦として迎えてやりたい、と考えた。明弘と今日子の両側両親の猛烈な反対を乗り越えてようやく入籍したころ、今日子はおよそ3ヶ月目だった。

運命は残酷なもので、その一ヵ月後に今日子は子宮内胎児死亡が判明してしまった。確率は妊婦の年齢によって3%から9%というが、決して低い水準ではない。ただ、やっかいなことに原因が解明されない件数がその内25%と非常に高く、西夫妻も運悪くそこに該当した。やりきれない気持を引きずり、生まれるはずだった我が子の供養に努めた。

今日子のショックは大きく、治療後もしばらく寝たきりの生活だった。ただ、1ヶ月後も状態は変わらず表情も青ざめたままで、明弘は精神的なショック以外の問題があるのではないかと思った。

「・・・」

「気分はどうだい?」

「明弘、あなた最近変な夢、みない?」

「夢?」

今日子は横たわったままポツリポツリと話した。退院してからほとんど毎日、おかしな夢を見るのだという。夢の風景は日によって変わるそうだが、共通しているのは起きる前に聞こえてくる一声。

あたし、生まれたかったなぁ生まれたかった

これだけ二人が楽しみにしていた子供だったが、その子供の無念も大きかったに違いない。明弘は今日子のためにもすぐまた子供をつくりたいと思っていたが、今日子の夢の話を聞いてからは当然そうとはいかない。やがて明弘も同じ夢を見るようになり、長い年月が流れていった。ひどいときは二人とも一月続けて毎晩同じ夢を見ることもあれば、一週間ぽつりと間が空くこともあった。そのアンバランスさこそが「夢」を生き物と思わせ、二人の意識にえぐりこむのだった。

昨年、明弘と今日子はそれぞれ37才、36才。相変わらず、毎週近くの神社で手を合わせている。二人は再び子供をつくることを決心した。

元気な男の子が産声を上げたころには、
不思議な夢はすっかり見ないようになっていた。

9.03.2008

英雄達の台所事情

ダイナマイトだ、ダイナマイト。誰かダイナマイト持って来い。
みんなで、ダイナマイトを探すのだ。どこかに転がっていないか。
この壁をぶち破れば、もう洞窟の外のはずだ。

しかし隊長、こんなに狭いところでダイナマイトなんか使ったら、我々の身にあまりにも危険です。

だまれ、このままでは、隊員もろとも窒息死してしまうのだぞ。一人でも生きる可能性を残すなら、今すぐダイナマイトで貫通を試みるしか方法がない。お前のいうとおり、犠牲者が出る可能性、いや、必ず犠牲者は出るだろう。でもいまや、やむをえないと理解してくれ。

隊長、ダイナマイトがありました。

ようし。俺はもう歳だし、独り身なので点火は俺がやってやる。
家族がいる者はできるだけ、他の者の後ろで伏せてろ。

隊長、少しお待ち下さい。

なんだ。こんなときに。

私は、確かに隊長と同じように独り身であります。ところが、女を経験したことが一度もありません。家族がいる方には申し訳ないのですが、私だって生き延びたい、いや私こそここで命を落としてしまうと無念でなりません。家族がいる方が犠牲となれば、その方のために涙を流す者がいるでしょうが、無縁の私に泣いてくれる者が誰もいないのです。

うーむ。我が部隊は、確か家族がいる者・独り身でちょうど、半々くらいだったな。分かった、それでは「家族チーム」と「独身チーム」に別れて、各チーム代表者同士で山手線ゲーム3回戦をするが良い。私が点火をしている間、勝ったチームの方が負けたチームの後ろで伏せる権利を得ることとする。それであれば、平等で皆生きるチャンスがあると思え。

しかし隊長、山手線ゲームはご存知の通り、「お題」を出す時点で勝敗が決まってしまうようなゲームです。最初にお題を出したチームが1回戦と3回戦、2回も出題できるので不公平ではありませんか。

そうであれば、ジャンケンであれば何も文句なかろう。

ジャンケン3回戦なんてそんな、軽率な!

それでは3回戦ではなく、33回戦にしたらいいのか?

隊長、そういう問題では・・・。

ええい、いい加減にしろ。皆合意できる決め方を提案したチームの勝ちとする。俺はお前たちの後ろで待ってるから早く決めるが良い。

9.02.2008

さやうならば

真由美さんは昨年、長いあいだ勤めていた病院を離れた。37才での決断だった。再就職先も決まってないのにバッタリ辞めるものだから、周囲は不意を付かれたようで、あの子にいったい何があったのかしら、と頭をかしげるのだった。一方、本人からしてみれば、いつかは退職することを長いこと心に決めていたのが実情だ。

その前職というのは、がん患者のホスピスの看護師だった。例外は一部あるけれども、ホスピスのほとんどの患者は短い余命を告げられていた。家族の願いにも応えて、患者に出来る限り安からかな終わりを提供することが目的だった。

真由美さんが看護学校を卒業してから初めての仕事がこれだった。若くしてこの進路を志したわけではなく、当時半ば遊び暮らしをしていた彼女に呆れた親戚に紹介された、いわばコネでの就職だった。そうとはいえ、真由美さんは一旦職に就くと先輩看護師の姿勢や患者が病と戦う姿に感化されたみたいで、それはそれは真面目に働き、謙虚に学び、周りにも認められる看護師となっていった。ペットは主人に似るというが、本当のところ主人がそのペットに合わせるように変わって行くとも言える。仕事も近からず遠からずそうで、真由美さんはごく自然と、がんホスピスの看護師へと姿を変えていった。

仕事のストレスはごく当たり前の負担として受け入れることができたし、前向きに暮らすことだって人並にできた。担当した患者が亡くなったときは今でも涙を流す。人が亡くなることは悲しいことであって、その事実はどうあがいても変えられない。でも、亡くなる事前に安らかであったこと、亡くなった後の家族の様子を見て、生きる希望すら見出すことができた。

他人に自分の仕事の話をすると、大体二通りの反応しか返ってこない。

「大変なお仕事をなされている」
「つらなくないですか」

当たり前といえば当たり前の反応だ。ただ、この仕事が自分にとっていかに自然なものである、と説明をいくら重ねても今ひとつ伝わっていない感じがノドに詰まった魚の骨のように、彼女の方に残った。ひどいときは、勝手に、あたかも簡単にヒーローとして祭り上げるんじゃないわよ、と正直嫌気をさすときもあった。自意識過剰ともいえるが、やがて他人には仕事の話はなるべく避けるようにしている自分がいた。

だから、この病院の人たちにも患者に対して何一つ後ろめたい気持ちはないが、いずれこの病院を一度離れなければならないと思うようになった。

残された問題は、持て余してしまった自分の時間ばかり。