4.27.2007

このゲーム

男は脱衣所に入り、ネクタイをゆるめてから背広を脱ぐ。スラックスも、脱ぐ。ワイシャツとパンツと黒い靴下だけしか身につけていない自分の姿を鏡で確認する。どんなにイイ男でも、こんな格好だったら誰もが惨め、いや、無防備に見えるだろうか。この姿は結婚してオヤジになったとしても誰にも見せたくないなぁ、と思ったのだった。

片手に持ったワイシャツの置き場所に困る。他人の洗濯カゴに入れるわけにもいかない。男はワイシャツを二つ折りにして狭い洗面台に端に置く。

今日乗ったタクシーの運転手の話が印象に残ってる。

「ゴールデンウィークは忙しくなるんですか?」

「都内はガラガラですよ、お客さん。」

「それは、大変ですね。」
大して大変だとも思っていない。

「でもね、ゴールデンウィークは運転手の仲間たちとゲームをするんですよ。どんなゲームかっていうと、一日で23区、多摩、武蔵野を制覇するゲームなんですよ。25エリアそれぞれの地帯内で、お客を乗り降りさせなきゃいけないんです。だから、港区から品川区に行くやつは、なし。いままで、できたやつは一人しかいないんですよ。」

「それは、面白そうなゲームですね。」
本当に面白そうだった。

「ガソリン代だけは、結構いくんですけどね。」

「そうかぁ。」

4.26.2007

氷河期の向こうが見える

萩原紀子ちゃんのお話。

「あたしは、すぐ結婚する方だと思う」

大学時代は、そのようなことを親にも、友人にも言っていたし、周囲もてっきりそうであろうと納得していた。周囲を引っ張っていくような物腰でなかったし、付き合ってきた男には一生懸命尽くす女性だった。おまけに、というのも何だが見かけも美人であった。叔父は笑いながらいつも言っていた。

「ノリはほんと、トロいからなぁ。騙されそうになったら俺んとこつれてこい。」

34歳の一人暮らし、13の部下を怒鳴り散らすキャリアウーマンになっているとは当時の自分では考えられなかったであろう。でも、今はそれが現実で、漠然とした乙女心にいまさら未練を引っ付けるつもりもない。都内の会社に勤め始めてから、まともな出会いがなかったといえばもっともな話で、自分が特に相手を探していなかったことも考えれば当然の結果だった。

ところが、最近その紀子ちゃんに好きな人ができたのだった。最近は会社でもすこぶる機嫌がよろしい。実は、明後日が彼の誕生日なのだ。彼を驚かそうと思い、紀子ちゃんは自宅でセーターを編んでいる。感覚が鈍っているせいか、なかなか手際よくできない。2ヶ月間、毎晩編み続けている。

大事な日が迫っているというのに、とんだ発見をしてしまった。編み始めたところの近くで、毛糸がほつれている。大分目立つミスだ。バカ正直というのはなかなか直らないもので、紀子ちゃんはセーターの毛糸をほどき始めた。こんなに時間を掛けて編んだものも、あっけなくすぐほどけてしまう。ようやくミスを犯した箇所までほどいたころ、足元の毛糸が小さな山となっていた。

まだ、大丈夫。手の感覚は戻ってきたのだから、2日も徹夜すればできるわ。
悔しさと、手の施しようのなさに伴い涙がこみ上げてくるのだった。

4.24.2007

シトシト降る

最近ちょっと、長生きしたいなぁと思ったりする。
もともと逆の願望を持ってたわけでもないんだけど。

このごろ身の回りで不幸が相次いだのが、そう感じた原因の一つだったかもしれない。表現はひどいんだけど、今は葬式慣れしてしまっている。そんな中、アメリカで発砲事件だの長崎市長も銃殺だの、そんなニュースに敏感になってる気もする。手塚マンガのように、絵だけがコミカルにデフォルメされていても、ぜんぜん笑えない実態。子供が幼稚園に通い始め、早速荒波にもまれ始めている。今年のゴールデンウィークは、久しぶりに僕の両親がそろって一時帰国する。しばらく良くない関係が続いたので、こういう機会はいい思い出にしたい。そろそろ老後のことを考えているに違いない。僕の兄貴も、7月にちょっと日本に遊びにくるって。しばらく会ってない間、彼はいつのまにか32才。他人の年齢に驚いてどうするんだか。そんな出来事もあって、「自分の年齢」というものにも「寿命」が値札のようにぶら下がっていることを自覚し始めたのかもしれない。焦りとか、そういうのも否めない。でも、いまやってることがどれだけ楽しいことか、敢えてそう書くのもしんどいけど、そんな喜びを感じている。と思う。

いままで歳をとることを毛嫌いしてたわけでもないんだけど、ちょっとでもサマになる大人だったら、なってやってもいいぞと最近思ったりする。ついでに、一度は、少しは、モテてみたいぞこの野郎、と思ったりもする。

ジョギングを始めた。いつくじけるのかは分からないけど、今のところは継続している。人に自慢できるような距離とかタイム、そんなのはまったく無縁。僕は限りなくドン亀である。走ってる時は、苦しいし、とにかく止まることしか頭にない。けど、体重と体脂肪率が減っていくと素直にうれしい。運動後の風呂上りのタバコが実に美味い。やめられない理由がまた一つできてしまった。でも今年の健康診断では負けまい。

4.20.2007

業務連絡:ライブとCD

4月29日(日)の夜、代々木のlaboでライブをします。以前ここでも紹介させていただきましたナカジがドラムを叩いてくれます。是非、遊びに来てくださいね。新しい曲もやりますが、古い曲もちょっと表情を変えて出てくるんじゃないかなと思います。

4月29日(日)
LIVE labo YOYOGI
http://www.yoyogi-labo.com/

開場で次のCDを配ります。是非、聴いて見てください。郵送をご希望の方はメールでお名前と住所を送っていただければ、無料で一枚お届けします。よろしくお願いいたします。



the hinsi etude by cayske hinami
"laboratory mice and things forgotten"

1. small hearts

4.17.2007

就寝前は食べない方が良い

明るく照らされた、長い廊下をあるいていた。
左手の壁には、10メートルおきに扉がずらっと並んでいた。
廊下は見渡しきれないほど長く、扉も数え切れない。

後ろを向いてみた。
後ろにも、前方と同じように廊下が続いていた。
当たり前だが、後ろを向くと扉は全て右側だ。
特急電車を逆向きの席で乗ったときに似た、めまいがする。
再び前を向き、歩き続けることにする。

実は、これを何時間も繰り返している。
扉を右側にして歩いたり、左側にして歩いたり。
結果的にもっと進んでるのか、もっと後退しているのか見当もつかなくなった。
前後という概念が意味を失っている。

イヤな夢かなぁ、こんなSF映画あったっけなぁ。
と、ふと思ってしまう。

ようやく覚悟を決める。左手の扉を一つ開けることにする。こいつだ。
扉の向こうは、自分の部屋だった。実にほっとする。
宝くじにでも当選した気分だ。あの廊下への出入り口も姿を消している。

「義之、ご飯よー」

母が呼んでいる。
私の名前は義治だと思っていた。
母はいつも、忘れんぼうだ。

4.13.2007

元も子もないから

「人食いテー、う゛~」

人食いゾンビが街角に立ってた。腰のあたりで、電柱に縛られている。通りすがりの善人が封印をしてくれたに違いない。そうとはいえ、もちろん、私は彼の前を通り過ぎるのは恐かったが、その先にある郵便局にどうしても行かなければならなかった。あと、ちょっとで五時だ。今日中に保険料の振込みをしていないと、妻に叱られるのであった。こっちだって、人食いてーという悩みこそないかもしれないが、それなりに緊急事態だったのだ。

目を合わせずに、ゾンビの腕が届かない距離を考えて通り過ぎようとした。

「う゛~人食いテー」

聞かない、聞かない、と。

私は無事に郵便局にたどり着いた。ところが、突然背後に女性の悲鳴が聞えてきた。振り向いちゃいけない、でも振り向いちゃう。美しい女性がゾンビに捕まっていた。流れる長いスカートを、ゾンビの腐った手につかまれたのだ。距離を誤ったに違いない。ゾンビは彼女の足から食べてしまうようだ。

「きゃ~たすけて~」

あっという間に右足がなくなった。

私だって人間だ。でも、人間だから自分の身もかわいい。

「きゃ~たすけて~」

「おーい、助けてやれないんだけど!」

「きゃ~」

「名前は?」

「ひろしま~はるこ~」

左足がなくなった。

「身内はいるのかー」

「父さんがー五反田ーきゃ~、ひろしま~のぶお~」

「事情ー、説明しておいてやるからー、安心しろー」

「いや~もうーたすけてー」

それが、私のできる精一杯だった。

4.10.2007

おじいちゃんの宝箱

多摩次郎は、ときどき両親に連れられて田舎のおじいちゃんの家に遊びに行く。多摩次郎はまだまだチビっ子なので、おじいちゃんの家が実際どこにあるのか、そんなことは分かっていない。大阪であろうと大連であろうと、目的地はおじいちゃんの家。それしか知らなかった。おじいちゃんは一人で暮らしている。おばあちゃんは多摩次郎が生まれた年にお空に行ってしまっている。両親は、多摩次郎がいうことを聞かないと、空のおばあちゃんが見ていて悲しんでいるぞ、という。多摩次郎は空のおばあちゃんのことはよくしらないが、さぞ執念深いおばあちゃんなためか、あまりいい印象はない。その分、おじいちゃんは無口だが温和で、付き合いやすい。

さておじいちゃんだが、タバコが好きだ。家中に、トイレにも灰皿がおいてある。ただ、いつもいるのは居間だ。ちゃぶ台には日記帳と筆がいつもおいてあるが、書き込んでいる姿を見たことがない。両親と多摩次郎がくる玄関まで出迎えはしてくれるが、話が尽きるとすぐ居間の座椅子に戻ってしまう。どんなに蒸し暑くなってもエアコンも扇風機もつけず、プカプカ煙を口と鼻からこぼしながら小さなカラーテレビで高校野球を見ている。音量は小さすぎてよく聞き取れない。母は挨拶をすませ、雑巾がけの準備をする。父は台所に行き、叔父に電話をかける。

「ああ、いま着いた。おやじ元気そうだよ。」

多摩次郎のためには、「じいちゃんの宝箱」が居間に準備されている。宝箱といえども、ただのダンボールだ。中には古いライター、ネジ、キューピー人形など。全部タバコの匂いがついている。おじいちゃんの家に来るたび、「じいちゃんの宝」を一つか二つ家に持って帰っているので、残りは少ない。以前きたときに、多摩次郎が入れておいたまま忘れたウルトラマンのビニール人形が入っている。これも、他のものと同様にタバコの匂いがついていて、誇りをかぶっていた。キューピー人形とまったく同じ時の流れにさらされてきたかのようだった。

「多摩次郎、じいちゃんの宝物、持って帰っていいぞ」

「うん。ねー、ウルトラマンあった。」

「よかったなあ。じいちゃんの宝箱はすごいだろ。」

「うん、すごい。」

多摩次郎は、今回はキューピー人形を持ってかえることにした。

4.04.2007

コラージュのような

この一ヶ月間、妻の父側のおばあちゃんと、母側のおばあちゃんが数週間という差で亡くなった。今週末もお通夜と葬式だ。お清めというが料理は 私の喉を通らない。平気に飲み食い騒ぎできる大人たちの図太さに関心する。それと、妻が子犬の頃から飼っていた雑種のワンコも他界した。まず、妻が気の毒 である。その間、自業自得であろうがライブをたくさん入れてしまい、ずうずうしくもうれしい悲鳴を上げている。CDはなんとかできた。次は、どうしよう。 来週は息子の幼稚園の入園式と、音楽教室の発表会。カニのカニ太郎という歌を歌うそうだ。良い歌だ。スタジオでは最近手が止まりそうになるとかつての「みんなのうた」の「思い出アルバム」を弾き語る癖が発生。「あんなこと、こんなこと、あっーたーでしょー。」春だ。いい加減個人レベルで地球が心配だ。家族で隅田川のお花見。高校時代のギターの師匠(笑)とのおよそ10年ぶりの再会。ライブハウスで出会った若いバンドマンのすごく良い表情。すんげーまっすぐ。見習いたい。夕暮れの雷雲がウソのように思える、満月の次の夜。

忙しいわけじゃない。別に、時間が足りなくなってるわけでもない。
ただ、いろんな事があった一ヶ月だなぁ、とぼんやり思う。
ちょっと眠くなったので寝ようと思う。