6.29.2007

淡いムラサキ

ここら辺では、ママチャリに乗ったばあさんなんて、珍しくもない。いわば目にも留まらぬ平凡な存在だ。ただ、いざ目を細めて過ぎてゆく自転車を一つ一つ見ていけば、あなたもいずれ遭遇するかもしれない。「ムラサキババァ」に。

ムラサキババァというのは、一見ママチャリに乗った、ただのばあさんだ。様相も割とイマドキで、時にはサンバイザーなんかもつけちゃって。ムラサキ色の自転車に乗ってるから、ムラサキババァと呼ばれるようになった。スーパーや、薬局の付近で目撃されることが多い。よおく近くで見るまで、明らかに変であることに気づかない。

ムラサキババァは、自転車と「一体化」している。尻と、サドルがくっついてる、のだ。そして、ペダルに足が乗ってるのではなく、足がペダルなのだ。いや、ペダルが足なのか。つまり、同一の身体なのだ。自転車から降りることは出来そうにもないのに、スーパーの買い物袋を前カゴに入れているのだ。

ムラサキババァと目を合わせてしまうと、着いてくる。目撃してしまった人と50メートルくらい距離をおいて着いてくるものだから、最初は気づかない。そして、いずれ聞えてくるのだ。50メートル離れているとは思えない声で、耳元で囁かれてるようにブツブツ話す。

「待って下さい」としつこく言ってくるのだ。

逃げてもムダだ。振り向けば必ず、着いてくる。ゆっくり、ゆっくりと。待って下さいと囁きながら。ところが、1時間もたてばムラサキババァはあきらめるようだ。どうやら、どう頑張っても追い付けないらしいのだ。

さりげなく現れては、さりげなくこの街の影に消え去ってゆく。
そしてムラサキババァを二度目撃したという者は一人もいないという。

6.26.2007

春はとっくに過ぎている

男は一人で、寝台列車に乗っていた。午前3時にもなるが、なかなか眠れないでいる。いつものことであれば、どこにでも寝付ける体質だが、今回は少し特別な旅をしているため興奮しているのだ。寝返りを打ってうつ伏せになり、あごを枕にのせて窓の外をぼんやり眺める。外は真っ暗だ。街路灯のあかり一つすら見えない。どこかの山奥か、トンネルか、それとも草原か、とにかく人気のないところを走っているに違いない。

遠くに引っ越してしまった、好きなアノ子に会いに行くのだった。アノ子に最後会ったのはそう昔ではない。別れたのはただ半年前のことだった。同じ職場の関係だった。付き合うようになってから間もなく、彼女は実家の都合で都会を離れなければならなくなったのだった。両親の世話をするのと、家業の後継ぎ。あまりにも当たり前なことに聞えたので、男はアノ子を引き止める思いを完全に見過ごしてしまったのだった。がんばれよ、達者でな、そんな言葉が気持ちを先走ってしまったのだった。その後、俺の感情はその程度のものだったのだろう、と整理をつけていた。それでも、今は間違いなくワクワクしている。

運が良いのか悪いのか、出張でアノ子の住むところの近くに出向く用事ができたのだった。アノ子は、男が寝台列車に乗って会いに来ることに気づいていなかった。

静かな再会だった。

あまり、長居はできないんだ。

家の仕事も、大変なんだろう。

みんなは、元気だよ。

これ、おみやげ。

家を後にした男は、歩きながら心拍数が少しずつ戻ってゆくのを実感した。

広すぎる宿をとってしまったので、せめてゆっくり昼寝でもしてから帰りたいものだ。

6.25.2007

クモさんと牛さんと宇宙

クモというのは、実は宇宙から来たという話を聞いたことがあります。
デタラメかも知れないし、本当かも知れない。

他の生き物と比べて、出来すぎなんですって。何万年も何万年も姿を変えずにいる。変わる必要がないらしい。目が八つあるとか、足が八本あるとか、ああいう巣を作るとか。なんかね、確かにね、私見ですが六本足の昆虫とは明らかに違う貫禄を放ってると思うんですけどね、クモさん。

あと、牛さんも宇宙から来たという話も聞いたことがあります。
クモさんよりも、いささか信じがたい話ですが。

牛さんの体内時計は、一日25時間なんですって。いったい誰がどうやってそんなことを計ったのかはわかりませんが。そんで、偶然かもしれませんが火星も25時間かけて一周回るんだそうで。人間は牛肉をよく食べますが、牛さんのお肉は他のお肉と比べて上手いこと消化しにくいんだそうです。ようは、宇宙出身のお肉なんで。だから、牛肉ばっかり食べてると健康上ロクなことにならない、という説があるそうで。

僕は、クモさんも牛さんも好きです。やさしそうだし、美味しいし(これは牛さんだけね)。牛さんとクモさんだけの世界がどこかの星で栄えてるとしたら、どんな世界なんでしょうね。

6.19.2007

真昼の夢

若い助六は便器に座っていた。朝刊を開いて、くつろいでいたのだった。自宅だったので、ズボンは足首まで下ろしてあった。ヘッドホンをかけながら、音楽も聴いていた。突然、何かが助六の肩をポンと叩く。助六はキョロキョロするが、こんなに狭い便所の中、他に誰もいるわけがない。

ヘッドホンを外してみると、小さな女の子が笑う声が、かすかに聞える。

「助六さん、助六さん。いますぐ玄関まできたら、いいこと教えてあげる。」

背筋に寒気が走る。

「ゆ、ゆ、幽霊ぃ・・・」

女の子の声は、話し続ける。

「失礼ねぇ、あたしは幽霊なんかじゃないの。妖精よ。あなたの守り神みたいなもの。」

「本当に、幽霊じゃないのか。」

「そうよ。妖精よ。」

ちょっと後にしてくれないか。ほら、今、僕はごらんのとおり取り込み中なんだ。ちょっと、まってくれ。話はちゃんと聞くから。

「いますぐじゃないとダメなのよ。いいことだから、早く。」

「だから、今は取り込み中なんだよ。しつこい妖精だなぁ。これくらい落ち着いてやらせてくれよ」

「あたしだって、状況が合わないと現れることができないんだから、ちょっとは人の話をまじめに聞いてよね。あたしこそ困っちゃう。」

「お前は人が便所に座ってる時にしか現れないというのか?」

助六はカチンときた。

「いいえ、玄関が火事になったときくらいだわ。ぷんぷん。」

6.13.2007

お母さまの差し入れ

ただいま。おかえり。
おかえり。ただいま。
さて、今日の夕飯はどうする?

共働きの田島夫婦。妻の優子さんは冷蔵庫を開けた。トマトが一つ。発泡酒の缶が、三種類。こないだの日曜日、飲み比べしようかと二人で盛り上がったときに買ったものだ。しかしおっと、今は夕飯だ、夕飯。トマト一つでどうすればいいのだ。優子さんはとりあえずトマトを取り出し、テーブルの上におく。とてもうまそうなトマトだ。みずみずしく、赤々しく、冷え冷えのトマトだ。傷一つない。

夫の修二さんはもう座っている。優子さんも座る。
夫婦の間に、トマトが一つ。

今日、腹減ってる?冷やしトマトだけでいいんじゃない。日曜日の発泡酒も残ってるんだし。せっかく美味しそうなトマトなんだ、そのまま食べちゃおう。今日は出前にする?でも、それじゃあこのトマトがもったいないな。日にちたったら美味しくなくなるかもね。最近、本当に外食多いからな。いや、やっぱりちゃんと食べなきゃダメ。面倒くさがらないでさ。せめて、ピザトーストにでもしよう。スパゲッティなんか茹でてもいいし。コンビニにさくっと行ってくれば簡単な材料だったら、きっと揃う。

ちょっと、発泡酒出してよ。

ああ、うん。

プシュ。プシュ。とりあえずご苦労さま。

トマト一個ね。ん、いつトマトなんか買ったっけ。あら覚えてないの?先週の土曜日、お母さん来てご飯作ってくれたじゃない。トマトが余ったの。ああ、そうだったっけ。

やっぱり、お腹空いたね。

6.12.2007

犯行現場のその後

マンションに空き巣が入ったのは二日前のこと。二日経って、夫婦はやっと部屋の整理に着手できたのだった。これまでは、被害届を出したり、犯人の手がかりを探したり、身内に連絡をしたり、単にその事実からのショックで途方に暮れていたり、何かと忙しかったのだった。

持ち物も多い方ではなく、マンションから「何が」盗まれたのかはすぐ特定することができた。通帳とハンコ、それと妻のネックレスと指輪。空き巣は金目の物をものを探すのに、派手に部屋を散らかしていったのだった。妻は今台所で、割れた茶碗や皿のかけらを拾ってゴミ袋に集めている。夫はリビングで、タンスの中にある重要な書類、盗まれなかったものを床に並べて確認している。パスポート、住民票、マンションの権利書、生命保険。テーブルの上には、冷めてしまった出前のピザの食べ残しが置いてある。

部屋はとても静かだ。ときどき、台所から妻のため息が聞こえる。侵入者の匂いがイヤミかのように部屋に充満している。これは、ヘアトニックの匂いだ。

「刑事さん、犯人はポマードでも、つけていたということですね。」

夫は、先日の会話を思い出す。

「ご主人、ポマードつけてる人なんて、この街に何人いると思うのです。」

「それは、そうですよね。」

若手の刑事だった。妻がそばで泣きじゃくっていた。

「大丈夫ですよ。」

「そりゃ、ここにもう空き巣はいないのだから大丈夫さ。そうだとしても、あなたに大丈夫といわれる筋合いはないね。」

6.07.2007

部屋まで届けてやる

梅雨がもうすぐ来る。アリの小次郎はウキウキしていた。

アリの世界では、梅雨は人間でいう「夏休み」に等しい時期だ。なぜかって?それは、雨が長く続くとロクに物運びの仕事ができないのである。だから、どのアリも梅雨入りすると、巣にこもるのである。女王お墨付きの、休暇だ。旅行に行けないことだけが、残念だが。

小次郎はまだ一人の身だ。一ヶ月分の自分の食物を溜め込むのにあまり苦労しなかったので、他の成虫がせっせと一家分のエサをかき集める中、一人だけ手持ちぶさたになってしまったのだった。

「手かそうか?」

近所のフランスワに声をかけた。フランソワはもうおじいさんで、パンくず一つ運ぶのにそうとう苦戦しているようだ。アリは一応、自分の体重の20倍を担げるというが、誰もそれが楽なことだとは言っていない。フランソワだって、本当はこのパンくずをバラバラにして担ぎたいに違いない。彼はプライドが高い。

「わかものは休んでな。お前たちは、いざの時の戦に行ってもらわなきゃいけないんだから」

またはじまった。戦だなんて、最近流行りもしない。そんなことらしきことが最後にあったのは、確か半年も前のことだ。それも、戦というよりは修復工事。人間の子供が枝で巣の入り口をえぐったのだった。すぐ飽きて去ってしまった。さほど騒ぐことでもなかったのだ。被害者も2、3匹程度だった。フランソワは運悪く、その事件で身内を失ったのだった。

気の毒なやつだ。

「いいからそのパンくず、半分にくずしな。部屋まで届けてやるから」

6.01.2007

奇跡の箱、魔法の瓶

公園のゴミ捨て場で拾ってきてから一週間たつが、我が家の宇宙人は良い具合に地球の生活に慣れてきたようだ。日本語もずいぶん達者になった。なぜか偉そうな口調で喋るようになったのは少し気になるが。子供は宇宙人のことをずいぶん気に入ったようで、名前までつけたようだ。ゴミンゴと読んでいる。ゴミンゴは元々名前なんてなかったものだから、あまり理解していないのか、あまり気にしていない。

「地球人の子よ」

「なーに、ゴミンゴ」

「ママがお料理をつくる、あの部屋にある、あの物体は何だ」

ゴミンゴはヒレでテーブルに指す。

「マホービンだよ」

「魔法の瓶か、それはすごそうだな。具体的な機能は何なのだ」

「ママー、マホービンって何するの?」

「保温」

妻は、ゴミンゴの態度が気に入らない。
トントントン。背を向けたままネギを切っている。

「おい、ママ」

「何よ」

「あれは熱湯を沸かしたり、保温したりするほかなにか・・・」

「保温だけよ。ヤカンで沸かして、マホービンに移すのよ」

「お前たちの魔法というのは・・・その程度」

「そうよ。何かわるい?」

「魔法と呼ぶには多少大げさだと思わないか?」

「アンタの星にはどんな魔法があるのよ」

「聞いて驚くな。食器を自動的に洗う機械が最近開発されたばかりだ。」