10.27.2011

医者もいろいろ

こんな俺でも、世間で認められている自慢の兄貴が一人いる。やつとはもう何年も話してないんだが、なかなかいい男でな。おつむのできがまず違うもんだから、医者をやってて、そりゃあ大したもんなんだ。いまは都会の大きな病院で偉い出世してる身でさ。奥さんも子供も鼻が高いわけだ。

そんな兄貴は、どれだけ歳をくっても弟の俺をよく可愛がってくれるんだ。諦めが悪いんだか、親や親戚が俺をバカ呼ばわりするといつもかばってくれる。こればかりはウチの兄貴も賢くはないね。俺が事業で失敗しても、家族と上手くいかなくなっても、大概どんなヘマこいても、俺を責めようとしない。こいつはツイてないだけなんだとか、考え方は間違ってない、まっすぐだ、なんて調子だ。同じ血が流れてるもんだから、まあ俺も兄貴の立場だったら、本当は根がまともなんだと信じたい気持ちも分からんでもないが。

いつの話だったか、そんな兄貴は単身でどこかの小さな田舎町の医者をつとめたことがあった。患者の九割は農家のじいさんばあさんで、ひどく手を焼いたそうだ。この頃の都会とは違って、男のほとんどは喫煙者で、どうしようもなく肺が真っ黒な人もいっぱいいたんだそうだ。

それでも、兄貴は誰にもタバコやめろとは言わなかったんだと言う。ハードな肉体労働を毎日こなす割には楽しみの少ない人生なんだから、そういう人たちからタバコを奪って良いことなんてない、ってね。

すごいと思ったよ、俺は。

10.18.2011

おばあちゃんの時計

私の母は古風な考えの人で、その上世話焼きで頑固者だ。

私の就職が決まった時を思い出す。世の中デフレだ不景気だと騒いでいるのに、母は少ない小遣いで私に色々買い与えようとした。しっかりしたスーツを持ちなさい。靴は丈夫で目立ちすぎないものを、それと紺色のネクタイも。靴下は見えないからといって手抜きしちゃだめ。

母親が傷つかないように、そのオファーを一つ一つ丁寧に断って、身の回りは基本的に安物で揃えた。周りの新入社員だってみんなそうだったし、背伸びしたものを身につけることがいささか無神経に思えたのもあった。

ただ、腕時計だけは母親からもらうことになった。時計だけは一生物なんだから、これはあたしが良いものプレゼントしてあげる、と最初から相当意気込んでいたので断るにも断れなかった。ゴツい機械時計は確かにとても立派で、手に取るとずっしり重みを感じる。安物スーツの見た目も、その時計を着けてると少しカッコよくなる気がした。

アンバランスではあったが。この二十年、同じ腕時計を着けている。

この間、認知症が進んでるため母はケアホームで世話になることになった。面会しに行くと、私の腕時計をみて言う。ずいぶん年期の入った時計だねぇ。

これは昔、母さんに買ってもらった時計だよ。覚えてるかい?
ああ、お前のために銀座のデパートで買ったんだよ。

そうか、ありがとうな。これからも大事にするよ。持ってみるかい?

母は時計を手にとって、じっと眺めた。本当に立派な時計。これなら、安心してあたしより長生きしてくれそうだわ。

10.14.2011

美由紀のこと

僕には生き別れの妹がいる。名前は、美由紀という。
僕と美由紀はかれこれ30年間、一度も顔を合わせていない。
仲が悪いわけじゃ、決してないんだが。

彼女は32才で、国分寺で暮らしている。同い年の夫と、今年5歳になる娘もいる。今年も複製された年賀状が僕の家に届いたから知っている、ごくわずかな情報だ。年賀状には電話番号やメールアドレスも印刷されてはいるし、美由紀だって何らかのつてで僕の連絡先もしっているであろうが、連絡を取り合わない暗黙の了解があるようだ。ようするに、僕たちは正真正銘の兄妹ではあるが、限りなく他人の関係。好きでも嫌いでもなく、ほとんど知らないんだ。美由紀の子供の頃の話、好きな色や食べ物、性格だって、分からない。

生き別れになるかどうかは、子供が決めたことじゃない。何も後ろめたいことはないが、いままで会う必要がないまま、ここまでお互い生きてきてしまった。手紙でも電話でもしようかなんて、何度も考えたことはあったが、ひょっとしたら迷惑なんじゃないか、と思うと動きかけた手がとまってしまう。

10.09.2011

彼女はいつも現実主義

若い男と人魚姫は出会ってから間もなく恋に落ちた。端から見れば運命的な出逢いと思える。ところが、付き合いはじめてから二週間も経っていないのに早々関係がギスギスしはじめた。

二人とも性格は温厚、人思いでおまけに美形。付き合う状況が悪いように働いたとしか言いようがない。人魚姫は海面からでると息ができないし、若者も逆に水中で息ができない。仕方なく、まともに会話をするにもどちらかが息をとめていないといけない。自ずとデートの場所は浜辺に限定された。あたしいつかディズニーシーを見に行きたいわ、俺は本物のタイタニックをみてみたいな、と言葉はかわすものの、無理に決まっている。体質の問題なのでお互い責めようがないが、四回目のビーチデートの頃にはさすがに二人ともビーチにうんざりしていた。

沖縄、グアム、バリ島にハワイ。次はどこにしようか…。

あたし、もうビーチは、いいわ。

いい、って言ったってなあ。ビーチじゃないと会えないんだから。来週九十九里行こうよ。潮干狩りしよう。

あたし、貝系、アレルギーだから。それに来週は…親戚と予定があるの。

ねえ、さ。

なあに?

君にもし人間の足があったらどんなに楽しいことか、時々思うんだ。

またその話?何度も言うけど、そんなこと無理に決まってるじゃない。あなたが何を期待しているのか分からないけど、魔法使いなんていないんだから、おとぎ話じゃあるまいし。