5.29.2013

胸にしまうこと

およそ100人の消防団員がショッピングセンターの駐車場を埋め尽くした。初出式である今日は快晴の空に恵まれ、地方の小さな合同行事とはいえ大勢がパリッとした制服を身にまとって整列する光景は、大都市に引けを取らないほど立派だと消防指令長の小名木川春正明は思ったのだった。

そんな日にかさなって大火事が起きるとは神のいたずらとしか言いようがない。ショッピングセンターに隣接されたタワーマンションの15階から燃え始め、終いには近隣の消防車が全出動することになった。被害に関しては出火した部屋から死者2名、その他煙吸引による気道熱傷等のケガ人13名ほど。

レスポンスは一言でいえば粗末だった。団員が大勢いすぎたせいか、指示系統がすっかりマヒしてしまった。小名木川本人も動揺してしまい、自分の階級にもっとも近い消防指令補の畑中に任せるべきか、より機敏に現場を取りまとめられそうな消防士長の島山浜、いや消防副士長の原田森か、と右往左往しているうちに炎はぼうぼう燃え上がっていった。結果的に100人の消防団員はそれぞれの所属する地区に分かれて火事に挑む格好となってしまった。

素人からは素早い対応に見えたかも知れないが、小名木川の感覚では5分は短縮できたはずと思っていた。あまり考えたくはないが、5分早ければ命が救えたかもしれない。

消火の直後に近隣の住民から起きた拍手が、小名木川の胸中をなんとも複雑にさせるのだった。

5.15.2013

覚えてないこと

加藤和正の幼少期の思い出。時は1982年、場所は東京外れの東久留米というベッドタウン。広い野菜畑につながる小さな路地に、4件の小さな家が窮屈に密集する区域で暮らしていた。

あの時代の大人たちは、今と違って近所付き合いに積極的だった。井戸端会議はいつものこと、お互いの家庭事情にも精通していた。まるでゾウの群れのようで、大人全員で全員の子供の面倒をみるようなメンタリティもあった。

狭い世界でも仲間はずれは起きる。大人たちは、とある一軒家については不自然なほど距離をおいていた。声には出さないが、子供に対しても近づいてほしくなかったはずだ。敷地はすっかり雑草に覆われ、真昼間でも家屋の輪郭が分からないほど暗かった。一人の老人が引きこもっていて、まともに顔をみた者はいない。家の近くで耳を澄ますと、中からお経を唱える声が聞こえる。小さく低い声だったので、その主が男なのか女なのかも分からなかった。大人たちに言われなくても、ただならぬ空気は和正にもわかった。

実はというと、和正はたった一度だけあの家の老人の顔をみたことがある。路地でキャッチボールをしていたら、球があの雑草に覆われた庭に入ってしまった。球をとりに庭に忍び込んだところ、あっさり老人に見つかってしまった。

妙なことに記憶はそこからポッカリ空白になっていて、どんな老人だったのか、怒られたのかほっとかれたのか、一切覚えていない。

わかっているのは無事に球を返してもらえたことだけだった。