9.04.2008

あなたはやさしい子

ヒナミケイスケです。知人から聞いた怖くなかった話です:

西夫妻、明弘と今日子はそれぞれ19才、18才のときに結婚した。二人とも当時は学生だったが、今日子の妊娠が一つのきっかけでもあった。ただそれはさておき、二人は深く愛しあっていたので、いずれ結婚するのは時の問題。ならば、我が子が誕生するときは夫婦として迎えてやりたい、と考えた。明弘と今日子の両側両親の猛烈な反対を乗り越えてようやく入籍したころ、今日子はおよそ3ヶ月目だった。

運命は残酷なもので、その一ヵ月後に今日子は子宮内胎児死亡が判明してしまった。確率は妊婦の年齢によって3%から9%というが、決して低い水準ではない。ただ、やっかいなことに原因が解明されない件数がその内25%と非常に高く、西夫妻も運悪くそこに該当した。やりきれない気持を引きずり、生まれるはずだった我が子の供養に努めた。

今日子のショックは大きく、治療後もしばらく寝たきりの生活だった。ただ、1ヶ月後も状態は変わらず表情も青ざめたままで、明弘は精神的なショック以外の問題があるのではないかと思った。

「・・・」

「気分はどうだい?」

「明弘、あなた最近変な夢、みない?」

「夢?」

今日子は横たわったままポツリポツリと話した。退院してからほとんど毎日、おかしな夢を見るのだという。夢の風景は日によって変わるそうだが、共通しているのは起きる前に聞こえてくる一声。

あたし、生まれたかったなぁ生まれたかった

これだけ二人が楽しみにしていた子供だったが、その子供の無念も大きかったに違いない。明弘は今日子のためにもすぐまた子供をつくりたいと思っていたが、今日子の夢の話を聞いてからは当然そうとはいかない。やがて明弘も同じ夢を見るようになり、長い年月が流れていった。ひどいときは二人とも一月続けて毎晩同じ夢を見ることもあれば、一週間ぽつりと間が空くこともあった。そのアンバランスさこそが「夢」を生き物と思わせ、二人の意識にえぐりこむのだった。

昨年、明弘と今日子はそれぞれ37才、36才。相変わらず、毎週近くの神社で手を合わせている。二人は再び子供をつくることを決心した。

元気な男の子が産声を上げたころには、
不思議な夢はすっかり見ないようになっていた。

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