9.02.2008

さやうならば

真由美さんは昨年、長いあいだ勤めていた病院を離れた。37才での決断だった。再就職先も決まってないのにバッタリ辞めるものだから、周囲は不意を付かれたようで、あの子にいったい何があったのかしら、と頭をかしげるのだった。一方、本人からしてみれば、いつかは退職することを長いこと心に決めていたのが実情だ。

その前職というのは、がん患者のホスピスの看護師だった。例外は一部あるけれども、ホスピスのほとんどの患者は短い余命を告げられていた。家族の願いにも応えて、患者に出来る限り安からかな終わりを提供することが目的だった。

真由美さんが看護学校を卒業してから初めての仕事がこれだった。若くしてこの進路を志したわけではなく、当時半ば遊び暮らしをしていた彼女に呆れた親戚に紹介された、いわばコネでの就職だった。そうとはいえ、真由美さんは一旦職に就くと先輩看護師の姿勢や患者が病と戦う姿に感化されたみたいで、それはそれは真面目に働き、謙虚に学び、周りにも認められる看護師となっていった。ペットは主人に似るというが、本当のところ主人がそのペットに合わせるように変わって行くとも言える。仕事も近からず遠からずそうで、真由美さんはごく自然と、がんホスピスの看護師へと姿を変えていった。

仕事のストレスはごく当たり前の負担として受け入れることができたし、前向きに暮らすことだって人並にできた。担当した患者が亡くなったときは今でも涙を流す。人が亡くなることは悲しいことであって、その事実はどうあがいても変えられない。でも、亡くなる事前に安らかであったこと、亡くなった後の家族の様子を見て、生きる希望すら見出すことができた。

他人に自分の仕事の話をすると、大体二通りの反応しか返ってこない。

「大変なお仕事をなされている」
「つらなくないですか」

当たり前といえば当たり前の反応だ。ただ、この仕事が自分にとっていかに自然なものである、と説明をいくら重ねても今ひとつ伝わっていない感じがノドに詰まった魚の骨のように、彼女の方に残った。ひどいときは、勝手に、あたかも簡単にヒーローとして祭り上げるんじゃないわよ、と正直嫌気をさすときもあった。自意識過剰ともいえるが、やがて他人には仕事の話はなるべく避けるようにしている自分がいた。

だから、この病院の人たちにも患者に対して何一つ後ろめたい気持ちはないが、いずれこの病院を一度離れなければならないと思うようになった。

残された問題は、持て余してしまった自分の時間ばかり。

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