8.15.2011

リチウムの真相

携帯電話のリチウム電池がどれだけ気の毒で、どれほどみじめな思いをしてきたか、果たして考えたことのある人が何人いただろう。

私に言わせてみれば携帯電話のリチウム電池だけにはなりたくない。他の家財だったらテレビでも箸置きでも固形石鹸でも、なれと言われればある程度前向きに生きれる自信があるが、リチウム電池だけはどう考えても無理だ。

暗い暗い携帯電話の中に閉じ込められ、昼と夜の区別もつかないままじわりじわりと体力だけが吸い取られていく。それで終わればいいが、充電されてしまうので何度も何度も繰り返される。充電が切れるというのは亡くなることなので、蘇ることが確実だったとしても決して気持ちのよい扱いではないはずだ。今日はギリギリで充電してもらえるかな、それともまた三途の川をとんぼ返りかしら。ハラハラドキドキなんてものではないはずだ。

今夜は充電が切れるまで話そうか、とスカして言う野郎はモノに対する思いやりが欠落しているとしか言いようがない。

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