11.11.2018

上京の状況

野瀬貫太、専門学生19才、新潟出身。

地元大学への受験に失敗したので、上京することにした。都合よく高円寺在住の叔父がおり、居候させてもらうことになった。

これといった東京の暮らしへの憧れや期待はないが、せっかくなら都会の暮らしを楽しもうと思っている。贅沢はできないが、ある程度時間の余裕はある。

最初の方は人付き合いが手探りだった。専門学校では様々の年齢層や経験の違う人間がごちゃごちゃになっていて、自分のように高校上がりの若年層もいれば、まったく世界観の違うヤンキー、脱サラ、そもそも専門分野に情熱をもって通ってる人もたくさんいた。

気の合う仲間に落ち着くのに時間がかかるし、気疲れもした。東京に出てきて意外にも、一人で過ごす時間の楽しみも知ることになった。知らない街を散策したり、映画にいくこともよくあった。一人で飲むブラックコーヒーの美味しさも、この頃覚えた。

あと、昔テレビドラマでよく見る東京の若者の遊びといえばゲーセンだった。野瀬もたまにゲーセンのUFOキャッチャーで遊び、少し上手くなってしまった。難しい獲物は大きなぬいぐるみや箱モノだが、重心のずらし方のコツがつかめればすんなりとれることもある。読みが当たって一発でとれると実に気分がいい。

大きなぬいぐるみを抱きかかえて街を歩く姿は自分でも滑稽に思えたが、得意なことが一つできて少し嬉しく思っている。

10.13.2018

奇跡の二人

安河弘樹48才。北山基47才。

二人は同じ埼玉のベッドタウンで暮らす同級生だった。安河は市役所に勤め、北山は地元の運搬会社。安河は妻と5才の娘がおり、北山は独身。仲が良く、月に何度か駅前の居酒屋で飲んでいた。

一見慎ましい二人の中年男だが、実は奇跡的な関係にある。

安河は一昨年のサマージャンボの大当たり当選者であり、北山は昨年の年末ジャンボ。同じ街の知り合いが大当たりを出すことは、無論チリのような確率のこと。しかし、それぞれ億万長者である事実を相手に伝えていない。嫉妬や妬みで人芸関係がこじれるのを恐れているからだ。

安河は子供の学費とローンの返済に回し、残りで資産運用を考えている。以前からしてやろうと思っていた両親の家のリフォームも。

北山は身寄りがおらず、金の大部分は定期口座に眠らせている。以前から欲しいと思っていたワンボックス車を買ったくらいだ。

依然として月に何度か駅前の居酒屋で飲んでいる。変わらず他愛ない会話をしているが、今年の宝くじを買うかという話題だけは自然としなくなっている。

9.15.2018

クレーマー

霊媒師を怒らせてしまい、ちょっと呪われてしまった。具体的には来週半ば交通事故で怪我する予定である。

冷やかしでいった自分も悪いが、霊媒師に呪うスペックがついてること自体盲点だったし、正直反則だと思っている。

小学2年生の時、田舎のばあさんの家にあったアリの巣をホースで水没させた。一匹ずつ謝罪したいとお願いしたら、当然だが断られた。アリンコの輪廻の回転はめちゃめちゃ早いので、30年前の魂は人間にたとえると石器時代にタイムスリップするほどに匹敵すると説明された。

悪い癖なのはわかっている。なんでできないんですか、プロじゃないんですか、アリンコの魂なめてるんすか、とついつい屁理屈を口走ってしまった。

我ながら悪趣味だ。本当に交通事故にあって、無事だったら改めたいと思う。

8.12.2018

麻婆ナス

沢山タケル41才。政府下の極秘スパイのため実名や年齢は伏せている。日本人であるかも実は断言はできない。ここだけの話だが、トムクルーズ主演のミッションなんちゃらシリーズの元ネタの多くは、沢山の体験談がベースとなっているらしい。

仕事は年に2、3件あれば多い方なので、ワークライフバランスは良好…といいたいところだが、人間関係を作るのが難しい。存在自体が秘密なので、人の印象に残るような行動をとることが原則としてダメなのだ。ひとりぼっちで時間をもてあましているのが実態である。

年間300日以上ヒマ、もともと寂しがり屋の沢山にとってたまったものでない。沢山は政府に内緒で彼女をつくることにした。10ヶ国語の話術に長けた国際スパイにとって、きっかけ作りは簡単すぎることだった。タキシード姿で高級ホテルの屋上バーに行って、マティーニをくるくる回しながらジェームスボンドばりの例のくだりを一発かませばいいことだった。

凡人でも国際スパイでも、問題はその後である。信頼関係の構築というやつだ。

「沢村さん(偽名)の言ってること何信じればいいのかわからないのぉ〜」

と泣きつかれることが多く、いかんせんうんざりしてしまった。特定の一般人と一週間を超える関係を持ったことない沢山にとって重荷となってしまった上、自分について一定以上の情報を出せないのが女にとっても不振感を誘った。

「何でもいいから本当のことを一つ教えてよぉ〜」

沢山の口から絞り出した渾身の一言が以下の通りだった。

「麻婆ナスが好物です」

7.15.2018

一発屋

藤村太郎助、56才会社員、婚歴なし、メーカー総務部勤務・転職歴なし。年収700万円。

有能なサラリーマンだ。決められた会社戦略を咀嚼し、自ら手を動かし、時にはチームを牽引することもできる。いずれ自分が退くことも見据えて、後継者を育てノウハウを惜しまず伝達している。上には器用に適度にゴマをすり、下には責任あるオピニオンリーダーとして人望を集めている。

小さなマンションを購入しており、ローンもあとわずかで完済する。身寄りは自宅介護している認知症の母親だけだ。自分の終の住処は老人ホームに入ろうと思っている。

本人曰く趣味は音楽だ。しかしカラオケは苦手、日常生活で音楽あまり聞かない、たくさんのアーティストを知ってるわけでもなく、CDコレクションもステレオコンポもなければコンサートにもいかない。ただひとつやっていることがある。

30才からボブディランの「時代は変わる」、この一曲の弾き語りをひたすら練習している。他のアーティストどころかボブディランの他の曲ですら興味がわかない。藤村にとっての音楽の全てこの曲にやどっていることになる。

20年間好きな曲をたまにに弾いているのではない。20年間、毎日、本気で、何度も何度も通して歌い倒している。昼間なら大声で、夜なら小さな声で、悲しいことがあれば悲しく、楽しい気分なら明るく、嫌なことがあれば怒りをこめて、the times they are a changin'... と。

何事も20年以上磨き続ければ磨きがかかるもので、技術の他、おそらく世の中誰よりもこの曲の細部、言葉一句一句の意味や役割を熟知して自分のパフォーマンスのものとしている。仕上がりはプロアマどうこうの境地ではない。

雑誌のインタビューで藤村は語っている「わたしもアーティストのつもりでいる」と。