4.17.2010

エピローグその一

すべてが終わり、すべては忘れられた。わたしも、名乗る意味がいまはない。

身体はひっそりと地面に埋められていて、かつての意志をしめすものとしてはこの言葉が最後になる。

人の心臓が動き続けるのは、身体の酸素がたりないところに赤い血液をとどけるためであり、言い方を変えればそのアンバランスこそが生命をうながしている。平衡が成立したとき、心臓はようやく長い役目を終えて休む。動いてるうちの身体の行いが正義だったか悪だったか、成功だったか失敗だったか心臓には関係ない。

わたしの人生は長かったが、一言でいえば失敗だった。本に書きおさめたらかなりの大作になるだろうが、失敗話にしてはページを費やし過ぎかもしれない故に、読者にはいささか気の毒な本になるだろう。悲しい話も楽しい話も、願わくば最後に何らかの救いがあってほしいものだ。わたしがいえることは、安らかであることと、痛くないこと。

今日の仕事を終えた安部村和夫は完成した原稿をポストにストンと入れ、帰り道に家の近くの飲み屋でえだまめを冷えたビールで流し込んだ。

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