2.07.2010

二重の鏡

私は売れっ子漫画家の佐伯さち子。本名は松本香織。週刊マンデー「大好きなのに大嫌い」の連載を描いてる。自分の人気を持ち出すことで品のない女と思われるかも知れないけど、私の考えは連中とは少し違う。人気がないのに人気漫画家はナシだが、人気があるのだから、いいじゃん、である。私はせっかく手に入れた人気漫画家の肩書きを、後ろめたく思うことはまずない。

いい家に住めるようになったし、アシスタントもついたし、編集者の扱いも随分丁寧になった。おまけに、男運も悪くない。でも、だからと言って私の生活から苦悩がなくなったわけじゃない。どんな物書きでも絵描きでも、インスピレーションに見放される時期は多かれ少なかれ必ずある。さっぱりアイデアが降りてこなくなった時はとてつもなく怖い。とてつもなく怖いのだけど、ジタバタしても仕方がない。根気よく待つしかない。そのうち、何かアイデアが降りてくるものと信じて。

私は自伝を描くことにした。意外と興味を持ってくれる人もいるんじゃないかと思った。しかし編集者に事前に相談しなかったせいか相当へそを曲げており、相手してもらえなかった。佐伯さち子の生活丸出しなんて、読む人はいるかもしれないけど、「大好きなのに大嫌い」のような漫画の売上に影響しかねないという。じゃあ、違うペンネームで、いや、それでは読者はゼロですよね、とがんじがらめだ。明日は美術館にでも行こうと思う。

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