8.14.2009

ジョニーとマグロ

ヒナミケイスケです。

若いころ、海外のお寿司屋さんで働いていたことがありました。食べ物のテイストは外国の方に合わせて作っていたので、どちらかというと創作料理としてのとらえ方が正確なのかも知れません。そこでお世話になった板前さんは、記憶が定かではありませんが中国大陸の福建省出身でした。逆に、私は日本のお寿司屋さんで働いたことがないので比較のしようがありませんが、その方はとても口数少なく、穏やかながら基本はきびしく、エレガントで器用。自分のイメージの中だけでは中国人であろうと日本人であろうと、彼は私にとって板前たるものの理想象と言える存在でした。それしか知らなかったから。やたらめったらノリ巻きばっかし巻いてた日々が私にとってとても良い思い出です。

そんな、大好きなジョニー師匠。教えてもらったことは沢山ありますが、とあるマグロにまつわる小話が特に深く印象に残っています。マグロで人生が特段変わったとは言えませんが、なぜだか頭の中の重要書類の引き出しに紛れ込んでしまった紙っぺら、というか。

当たり前のようなことではありますが、マグロの握りには大きく分けて赤身、中トロ、大トロと三種類あります。赤身はトロ系からは孤立した存在である一方で、

「中」トロと「大」トロの相対関係というのは食べる側からしてみれば言葉のごとく上下関係にあてはめられがちです。どれだけ脂がのってるか、多くのってればのってるほど高級かつ高価、というのが一般的な整理だと思います。ただ、実際のところ中トロの支持層というのは大変根強いもので、脂のってりゃいいってモンじゃないぞ、とあくまでも身と脂のバランスを重要視する人たちがいます。ジョニー師匠も私も、いまふりかえってみるとそのような考えだったと思います。

で、です。ジョニー師匠は大トロのことを「美味しすぎるのだ」と表現されました。人間の舌には大トロの味は「ウマすぎて」処理しきれないと。大トロというのは実に形容し難しい存在で、脂がのっていながらもさらっとしているため、「脂っこい」では多少言葉足らずだと思う。大トロに対しても軽率になってはならないのだ。

そんなので、「美味しすぎる」という表現がとても素敵に思えて。
こんなところにも、一人詩人がいた、と。

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