8.15.2008

病棟の寝巻きでぶらり

私が住む東京の下町エリア(江東区・墨田区)は、関東大震災と東京大空襲の当時の被害が特にひどかったらしく、ところどころに○○資料館とか、××記念館とかが、ちらほらあります。先日退院した病院のとなりにも結構大掛かりな「東京都慰霊堂」というのが公園の真ん中にデーン、とありました。震災と空襲の犠牲者をまつってあり、昭和五年(1930年)に竣工したそうです。

大空襲があったのは1944年から1945年ですから、元々大震災の犠牲者のために建てた慰霊堂に、言葉は悪いですが「後付け」で空襲の犠牲者もまつることになったということになります。慰霊堂の中には、震災後の東京名所の様子の油絵や、焼け野原の写真も並んでいました。隣接の資料館では、まさに後付という形で「空襲コーナー」が設けられ、当時の人たちの遺品などが展示されていました。

慰霊堂が竣工してから一世代も回転しないうちに、震災の犠牲者数(6万人弱)を大きく上回るような(凡そ10万人)悲劇が起きたわけですから、なんとなく一緒にまつることになった流れも、当時の人の心情を想像すると納得しました。

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