11.13.2007

名前を付けなくて良かった

山中春夫は22才の会社員。

一年前に栃木から上京し、小さなアパートで暮らしている。就職先は小さな広告製作会社だ。大手広告会社の下請けが主な仕事だ。給料は安く、目上の業者の人使いは荒いが、憧れの職業に就けたことに満足をしている。東京といえども、贅沢をしなければ十分生活はできるのだった。

春夫はタバコ好きだ。しかし、会社では喫煙所がない上、他にタバコを吸う社員がいない。一年足らずの新入社員がこっそり一人で休憩を取りタバコを吸いにいくにも、どうも後ろめたいことだしできなかった。昼休みに吸い貯めをするしかなかった。それを見た上司が笑い混じりに言う。山中君、出世したかったら禁煙が一歩目だな。春夫は、はぁ、そうですかと相づちを適当に打っておいたのだった。

そんなきっかけもあって、春夫はアパートの部屋ではタバコを吸わなくなった。灰皿をベランダにおき、外で吸うようにしたのだった。

ところが、ある日会社から帰るとベランダは妙な光景となっていた。ハトかスズメか何かが、灰皿に卵を産んでいったのだった。灰皿はたまたま吸殻が溜まっている状態だったので、卵のクッションとして都合の良い場所だったのだろう。いつ親鳥が戻ってくるか分からないし、かといって他に適当な卵のおき場所も思いつかないので、春夫は卵をそっとしておくことにした。近くのコンビニエンスストアで携帯灰皿を購入し、再び部屋の中でタバコを吸うことにした。

次の日の夜になっても、親鳥が戻ってきた気配がない。春夫は卵を気の毒に思ったが、どうしてやればいいのか分からなかった。秋風が吹くなか、卵を部屋に非難させ暖めてやるべきだろうが、そうすれば親鳥が戻るタイミングを見逃してしまう恐れもあった。結局、春夫は取引先からもらったアロマキャンドルに火をつけ、卵のそばにおくことにした。何もしないよりはマシだろうと、思ったのだった。どの道アロマキャンドルには用が無かった。

その次の日の夜、元々小さかったアロマキャンドルは完全になくなっていた。灰皿の中の卵はグシャグシャになっていて、ベランダ中に吸殻や卵の欠片が散乱していた。おそらく、カラスか何かに食われたのだろう。アロマキャンドルの香りか灯が、返って卵の存在を目立たせたのだろうか。

春夫は灰皿ごと燃えないゴミに捨てて、その夜のうちにベランダの掃除をした。その後携帯灰皿を片手に、またそのベランダで夜空を見上げながらぼんやりと煙の輪をふかしていた。

コメント0archive

Post a Comment

<< Home