11.05.2007

やるせなさ

西暦2873年8月12日

・・・だと思う。宇宙船のカレンダーと電子時計しか頼りにしていない。この日付けが正しいとすれば、私は火星で暮らし始めてちょうど5年間たつ。日付けはともあれ、時が過ぎるのが早い。かつての地球の科学者は火星で生活できるようになるまで最低20年はかかると言っていた。彼等がまだいたとすれば、どんなもんだい、と言ってやりたいと思う。でも、私が知る限り地球はもうない。私の宇宙船が火星に不時着をする際、横目で地球がこっぱみじんに爆発するのを見た気がする。ときどき宇宙服を着て外を歩くが、空に地球のあるべきところには、何も無い。

この宇宙船が、私の今の住処だ。皮肉なことに、データベースに地球の書籍物のデータも入っていて、その一つがロビンソン・クルーソーだ。漂流記か。最初に読んだときは共感したりもしたが、彼と私で決定的に違うのは、漂流者である彼と比して、私は移民者であることに気づいた。私には、帰るところがない。クルーソーの日記はいつか、誰かが読んでくれるだろうという希望が含まれている。私の日記は、私のほかに読める人間はすぐ側にいる。だから、この日記も今日で終わりにしようと思っているのだ。

私と一緒に妻と息子がいる。そして、妻の腹の中には初めての火星生まれの人間となろうとしている子供がいる。本当の意味での火星人か。性別は、分からない。アダムとイブの神話を思い出す。イブは二人の息子を産んだそうだ。そこから人類が広まったというが、男二人でどのように繁殖したのだろうとリアルに不思議に思う。本当にその人たちしかいなかったのであれば、息子たちはとてもイヤな決断を迫られたに違いない。いや、その価値観すらなかったのだ、当時はきっと。余計な価値観を抱いているのは私と妻なのかもしれない。

ただ、そんなことを悩んだところで、私自身どうにもしてやれない。子供達が男・男であろうと男・女であろうと、やつらに人類の運命を委ねる他、私はなにも彼等に強要することはできないし、したくもない。私は出来る限りの役割を既に果たしたのだ。純粋にそういい切れてしまう状態を、私はどう捉えればいいのか。

そして今日も宇宙服を着て、外を少し散歩してきた。

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