9.04.2007

ブラジャーに助けられ

郊外デパートの警備員の浅田さんは当時36才。年明けくらいだったか、以前務めていた会社を退社したばかりだった。退社というのは都合よい表現だけであって、実際は会社のリストラ計画で目をつけられ、自己都合の退社に追い込まれたのが事実だ。会社がリストラをしなかったならば浅田さんはきっと、何事もなく仕事を続けていただろう。働き盛りの年齢なのだ。

ただ、浅田さん自身はとても前向きなのが取り柄で、人事の懸命な説得を受け入れ、自分からその会社での生活が向いてないと判断した上で退社をしたつもりだった。会社に対して後ろめたい気持ちはないし、さすがにいまや同僚と連絡を取り合うことはないけれども年末になれば年賀状くらいは出そうと考えていた。

次の仕事のあてがないところ、「つなぎ」として夜間の警備員をやることにした。給料はまずまずで、日中の時間が自由になるのが大きかった。強いて問題点を挙げるならば、浅田さんは暗闇と幽霊がとても苦手なことだ。五階建てのデパートを一通り見回るコースだが、当初は怖くて仕方がなかった。夜のデパートはエアコンがついていないのも原因だったかもしれないが、警備員の控え室に帰ってくるころはいつも冷や汗でびっしょりだった。

あまりにも怖いので、何日かすると浅田さんは懐中電灯を使用するのを止め、移動するたびにフロアの照明を目一杯につけていくことにした。明るくなったものの、人気と音がまったくないため、その空間は新に別の不気味さを放った。それでも、懐中電灯の明かりだけを頼りにするよりはましだった。

マネキンとは目を合わせてはいけない。何度もそう自分に言い聞かせた。自分とはいえ、見るなといわれて見てしまうのがアレで、浅田さんは婦人服売り場のマネキンと何度か目が合ってしまった。その後どうってことないが、見てるときはとてつもなく怖かった。この自分の怖いもの見たさを回避するため、浅田さんはいつも洋服を見るようにした。興味はあまりなかったが多少強引にでも、あぁ、なるほどこれが今年の秋の流行なんだな、ほほう、このブラジャーの持ち上げっぷりは見事だなぁ、と独り言をいいながら見回るのだった。

やがて浅田さんは警備員の仕事にすっかり慣れることができた。いまだフロアの照明はつけっぱなしだが、それは今は恐怖を逃れるためではなく、マネキンのファッションを見るためにしているのだそう。

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