3.05.2007

あきらめ

「ちょっと、貸してくれませんか」

うつむいた男は、手元のコーヒーカップを両手でつかみながら小さな声で言った。
ちょっと、それほど恐い金額はないという。

「今すぐ必要なのは100万円、いや、150万円くらいあると嬉しいんですが、来年中には返せると思うんです。上手くいけば、ね。どう思いますか?」

たどたどしい口調が、頼まれる側をより一層不安にさせるのだった。目の前にいる男はかつて有望なキャリアマンだった。大きな会社で営業の仕事をやっていたが、あるとき独立をして、まぁ、早い話、失敗して首が回らない状態まで陥ってしまったのだった。様相は数年前とさほど変わらないが、目元が疲れ果てている。その目つきは明らかに尋常さに欠けているのだった。不幸中の幸いというか、彼にはまだ若さと、独身の身軽さがあった。ちなみに、相談を受けていた人物は、男の前職の上司だった。

「あきらめるタイミングを見切るのも、アレだぞ」

「分かってます・・・ただ、まだ、いけると思うんです。銀行はもう相手にしてくれませんが、せめて僕のアイデアをちょっとでも理解できる人だったら、と思いまして」

「分からんでもないんだが・・・」

上司はその男の能力をかっていたし、100万円であろうと150万円であろうと多少の金の余裕はあった。なんだったら、今からでも現金を渡すことだってできた。ただ、今は目の前のズタズタになった男の姿にただただ唖然としていた。かわいい後輩を哀れむべきだったであろうが、自分でも認めたくない、嫌気すら感じていた。ついつい言ってしまった。

「はじめから、辞めるんじゃなかったな」

その一言をかぶせるように、上司はすかさず大声で笑い、まぁいまさらそれは気にするな、と付け加える。自分に言い聞かせているように聞えたのもあって、男は言葉を返せずにいた。

「いや、でも本気にだな。あきらめるタイミングを見切るのも、アレだぞ」

「あきらめ、ですか」

コメント0archive

Post a Comment

<< Home