2.16.2007

パラダイム

一言で言ってしまえば、小松さんは自殺未遂したことがある。ただ、もう少し詳しく話すと、そこまで単純な話ではない。本人は自分がそんなことをした意識はない、むしろ当時の出来事については少々苦笑いを交えて喋るくらいだ。今はとても心温かい人と評判で、周囲からはそれなりに愛されている人物である。ちなみにだが、彼はその後も幸せに暮らし、家族に囲まれて幸せな最期を迎える運命の持ち主でもある。

確かに数年前は彼の人生、あまり上手くいっていなかった。色々ある原因の内、借金もその一つだった。下らないことに金を費やしてきたわけじゃない。住宅ローンとか、そういった地味なものばかりだった。月々の返済ができなくなったきっかけは、たまたま思うように昇給できずにいたことだ。思うように昇給できなかったから思い切って退職をし、自営業にチャレンジして失敗しただけのことである。ただ、首が回らなくなった人間はどんな些細なことでも一人で抱え込んで深刻にしてしまうもので。

「イヤんなっちゃってたんですよね。それ以外、言葉が見つからないのが本当にお恥ずかしい話です。」

地方にある大口の取引先が倒産してしまったのが引き金だった。訪問した社長からその報告を受け、すっかり落ち込んでしまった小松さんは、帰宅路に人気のない駅で呆然としていた。気づけば一番後ろの車両の停止位置に立っていた。一思いに飛び込んでしまおうと。黄色い線、そいつの一歩先に立ちながら、じーっと足元を見つめていた。迫ってくる電車を見ずにできれば、と目論んでいたわけで。まもなく電車がまいります、アナウンスが流れた。下を向いたままだが、遠くから電車のクラクションが確かに聞えた。

小松さんが結局線路に身を投じなかったのは、立ち位置を間違えていたから。てっきり足元に書かれていた「10番」が最終車両の停止位置だと思い込んでたところ、その逆だった。実際、最前車両が自分のところにたどり着いたころは、笑っちゃうくらい電車が減速しきっていた。これじゃあ飛び込んでも、電車に当たる前に地に足がついてしまう、そんなイメージがなぜか小松さんにとってはたまらなく可笑しかった。思わずその場で吹き出してしまったのだった。

車掌さんは迷惑そうに、プォーっとクラクションを鳴らした。

「黄色い線の内側にたってくださーーい!」

運転席から叱られた。小松さんは驚いて、背筋をピンと伸ばした。

「すみません!」

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