10.29.2006

イシュマエルと呼んでくれ

男はペットショップに入った。暗い店内は暖かく、湿っている。ガラスのケースが壁いっぱい積んであって、一つ一つに温度管理のランプが丁寧に設置されている。カメや、ヘビ、トカゲ。は虫類の専門店だった。予想以上に動物達は活発だった。音はたてないが、ケースを一つ一つ見ていくと、それぞれカサカサ、スルスル、ニョキニョキ動いている。

店員が一つの陸カメを男に勧める。20センチほどの長さ、ケースの中に一匹しかいない。一度環境を作っておけば、育てるのはワリと楽だという。食べ物も野菜だけでいいらしい。二、三十年は生きます。大きく育てて楽しむカメです。お子様がいらっしゃるんだったら、ちょうど大人になるまで生きますよ。この子は穏やかな性格なんで、ほら、頭を触ってもそんなにひっこまないでしょ。ケースから取り出されたカメは何度かマバタキし、歩いた。

気の遠くなる話だった。このカメは、誰かに買われようと買われまいと、この先、二、三十年もガラスのケースの中で生き続ける。何もなければずっとケースの中にいるわけだから、死ぬまでの運命がほぼ確定している。事故にあうこともないだろうし、病気も多分しないだろうし、一匹しかいないので飼い主が他にカメを買わない限り子供を作ることもない。

お前はなかなか気の毒だな。

何故です。

長生きするのはいいが、ずっとガラスのケースの中で生きるのでは、あまりにも退屈だろう。まるで終身刑のようだ。

そう思われるのも無理ないかもしれませんが、私は幸せですよ。私はずうっと考え事をしていますから。

どんな考え事をしているのか。

色々なことを考えます。宇宙のこと、美しいもの、生きること。

考えたことを他の者と共有できないのでは、あまり意味がないな。

あなたは、伝えることができないなら、考えないというのですか?

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