10.10.2006

ペンタゴン

五太郎はひどい環境で生まれた。運が悪かったとも言う。まず場所が悪い。原子力発電所が遠くないところにあった。それと、両親が二人ともいい加減だった。シャブ漬け酒なら何でも来いの、おまけにバツ9(父)バツ6(母)といった自称結婚詐欺同士のカップルだった。さんざん悪さをしてきたわけだから、同じ経験をしてきた同士でなければ結婚は到底できなかったといったところだ。詐欺師同士なりの、ある種の固い信頼関係だった。貯金と万引きとゴミあさりと消費者金融で食いつないでいた。ヒマと金さえあれば一日中薬漬けになっているか、ビートルズのアルバムを聞きながらレノンの偉大さについてタラタラと語り合っているような日常だった。

そんな事情もあって、色んな事情があって、五太郎はあいにく変わった子として生まれた。あきらかに異常な程、前向きな心の持ち主だった。異常な程、どんな困難にも真正面から向かっていくという可愛そうな持病だった。あ、あと、右腕が二本あった。手足が計5本あるので、一人息子なのに五太郎だった。五体満足ではなかった。

このネーミングのセンスすらない、しょうもないとも言える両親は五太郎が生まれてから間もなく死んだことにしよう。五太郎は養護施設に入れられた。養護施設で働く人のことを悪く言うのもなんだが、五太郎の面倒を見ていた人はちょっぴり鈍い人たちだった。無理もない。一番の障害である心を見過ごしてしまい、彼の三本の腕を見て身体障害者のレッテルをつけてしまった。いらないカウンセリングを毎日受けさせられた。

ただ、五太郎は前向きでいつづけた。時間が経つにつれ、三本の腕を上手く活用して通常の二本腕の人間ではできない「かご編み」の手法を編み出し、誰も見たこともないような美しい「かご」を次から次へと世に送り込んだ。彼の作品はやがて世界中の 工芸美術の著名人にも認められるようになり、大金持ちになり、とうとう人間国宝の指定も受けた。五太郎は養護施設にも別れを告げた。

「僕にできること」

かごの世界でできることはやりつくしたと感じた五太郎は、こういった本を出版した。内容は説明するまでもない。 講演活動もした。

「共感できない」



「ありがとう」

人々の評価はくっきりと分かれた。ただ、五太郎は異常な程、前向きなので前者はただのヒガミと整理して、共感してくれた人たちとも仲良くなり、人助けに残りの人生をささげ、幸せに人生を終えたのでした。

コメント0archive

Post a Comment

<< Home