4.05.2006

カワウソの仲間達

息子のいたずらがエスカレートしてきた。

私の仕事机の引き出しをあさったり、排水溝にオモチャを突っ込んだり、本をやぶったり(気に入ってる本はやぶらない)、散歩中に水たまりでバシャバシャしたり、ヨメのケツをつねくったり(どこで学んだのだか・・・)、用を足してるときにドアを全開にして逃げる。本人は注意されることを分かってる、というか、ニタニタしながら、親の表情を伺いながら待ち構えている。ある種のスリルを感じているのかもしれない。

やったなコノヤロという感じで注意すると、ゲラゲラ笑う。まれに、ガスコンロ級にキケンないたずらをした場合は本気で怒るわけだが、そのときはメソメソ泣いてしまう。

専門家にいわせてみれば、親子の信頼関係を築き上げることにあたって、これは重要な成長過程だとのこと。子供の立場からすると、親の反応を試す必要あって、ちゃんと相手してもらってるのか、それを確認していることが重要だという。僕もそれは正しいと思ってる。「あんまり」怒ってはいけないらしい。いわば、許さざるを得ない。子供の特権。

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ウソをつくことは、たしかにあまりよくないと思う。信頼を失うし、自分もイヤになっちゃうし、後始末も大変だ。だからといって人はウソをつかないわけじゃない。色んな場面、色んな理由でウソは用いられる。必ずしもやましい場面だけじゃない。何かを守るためのウソ即ち貫くウソ、思いやりのウソ、何の害もないウソ、笑いをとるためのウソ、自己暗示のウソとか。当然、面倒くささからなるウソ、隠すためのウソ、傷つけるためのウソ、金儲けのためのウソ、身を守るためのウソ、といった醜いのもあるんだけどさ。

そう思いたくはないけど、自分だってウソついたこともあっただろうし、そうとなると、ウソをつかれることに100%恨みきれない。のよね。繰り返しだけど、総じてウソはよくないと思うんだけどね。下手すると人が傷つくわけで。

ただ、子供以外につかれる、「試すためのウソ」だけは許せないなぁ。
なぜか。みっともなくて。それが一番悲しいウソかもしれない。

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