2.20.2006

尽くせとささやく

中学生か高校生だった頃、両親に自分の名前の意味を尋ねたことがあります。人助けをしなされ、という希望をこめて命名したそうです。「京佐」という漢字からそれをどう読み取ればいいのさ、全くナゾのままですが。親が果たして、「人助けをする人になれよぉ」と願っていたなのか、「人助けをする人になるといいなぁ」と想像していたのか、「意地でも人助けをするように育てるッ」という決心だったのか。自分に身近な事で結構アップアップであることが多く、その使命には応えられていないのが実情。ちなみに、コンセプトそのものに異議があるわけではない。

子供の名前は「健」といいます。妊娠中色々あって、健康でいて欲しいという願いでした。ずっと健康でいるように育てるッ、という考えに変えようか、と今思ったりしています。

占いは基本的に当たるモノだと考えているからちょっと恐い。が、その分野に精通した友人がたまたま診断してくれたのを覚えている。「尽くすタイプ」の人間なのだそう。もっと尽くすように生きるべきなのか、たまたま尽くすのが自然体な人間なのか、尽くすってなんだろう。誰かさんのために何やってるかってこと?線引きが難しい。命名と若干かぶってるから不思議ちゃん。

自分のために何かやるって何かしら。

人のために何かやって、満足感とか達成感とか感じたらその時点で自分のために何かやったわけだし。だったら達成感とか満足感とか全然ないように、敢えて自分が良い思いを一切しないように人のために何かやる、見たいなのも変。自分だけの事をやって周囲を無視ってのも自己完結していてあまり面白くなさそう。わかんない話になってきた。

コメント0archive

Post a Comment

<< Home