7.27.2005

見られてるということ

今朝、ヨメとくっだらない言い合いをした。内容すらよく覚えてない。モノが蹴られ、大声が飛び散った。正気に返るとお互いの非を認め、仲直りした。それを見ていた息子は、いつもなら熱心に見ている朝の3チャンネルから目を離して、ボーゼンと僕らを見ている。片手にオモチャ。

口を開こうとしたとたんに、息子はオモチャを落とし、サッ、と両手で目を隠した。誰に教えられたことでもない衝動、だったと思う。見ちゃあいけない、と思ったのか、それとも、見たくない、と思ったのか。いずれにしても、明らかにビビっていた。ヨメと目を合わせて、お互い、やっちまったな、と静かに反省する。息子を呼び寄せて、びっくりさせてごめんな、と謝る。もうママもパパも怒っとらん。お前にも怒っとらん。ダイジョーブだよ。二人そろってニッと笑ってみせる。相当のバカ夫婦である。でも、息子は分かったようで、「ギャハっ」と笑い返して、ダダっとオモチャへと走り去る。僕らは、許されたのであろうか。

これはちょっと前まではよくヨメと言い合いになることでした。思い返すと、私は変わったと思う。前は、余計に笑わない、怒るときは怒る、泣くときは泣く、喋りたくないときは喋らない。一切。俺は俺、俺、俺、俺。今ある俺、それだけが真実。子供はそれを見てればいい。なんで、極端な話、今朝のような言い合いもどうぞどうぞ、しっかり見ておれ、と言っていたかもしれない。

でも、そういう態度では、閉鎖的なだけだな、と思いはじめた。汚い水槽をほったらかしにすれば、汚い水が循環してもっと汚くなる。その内、中も見えなくなり、ちっとも面白くない。よく分からないけど、息子は私とヨメに、はっきりとシグナルをビンビン送信してる。おめーら恐えーんだよと。てめーらそれやめろ。

前のままでは自分がどんな化けモンになろうと気付くこともロクにできなかったと思う。僕に必要だったのは、前に向きたいという姿勢、これというシャキっとピントのあったイメージでなくとも、こんな人間になってやりたいという意志。いい背中を見せてりゃア育つ、はアンデルセン童話に等しい。情報は常に、双方に流れてる。その情報の流れを一方的に切断してはならない。一度閉じてしまったその水門をいま開こうとしてる。息子が見てる背中はまだまだ小さくて不安定に違いない。それは、変えてやりたいと切実に思う。

少し話がずれた。

依然として強引な作り笑いは良くないものだと思う。そこだけは勘違いして欲しくない。どうせそんなモンはすぐバレるし、ずっとニコニコしてるのはただ不気味なだけ。その話とは少し違う。子供が自分を見るように、客観的に自分を見て、あ、今の俺嫌い、こういう人間はいやだ、と思うとき、やっぱりそこで止まっちゃあならないと思った。結局、機嫌悪いだとか、怒ったり、悲しいとか、元となる外的要素も当然あるけど、そこにプラスαで、自分で自分をそうさせてる部分が少なからず、必ず必ず必ずある。情報が自分というフィルターを通ってきてそうなるんだから。

状態だけを見ているのでは、モヤモヤと残された副産物に溺れるだけ。
それピンでは「俺」でも「真実」でも何でもない。
僕は木を見て森を見失っていました。んなもん。

と、今朝の出来事をようやく少し把握できた19:00現在。
すみません、ちょっとまとまりが悪かったっす。

コメント3archive

Anonymous Anonymous

うんうん、皆そうやって大人になっていくんだよね。子供は大人の見えなくなっているものを素直に映してくれる鏡だね、うん。。。。。。割ってしまえ、そんなもの。

3:17 am  
Blogger cayske

物心がついてない限り、本当に今は見ることしか出来ない生き物だと俺は思ってる。無論、足が生えた日から、俺が教えられるものも減ってゆく一方だと思うし、その記憶は頭の奥の片隅にしまわれてしまう。でもそれでいいと思う。

おたまじゃくしに今飛べといってもムリな話だろう?

8:48 am  
Anonymous Anonymous

マジでコメントされたよ。。。。
まあ、あまり親馬鹿が過ぎると子供はぐれるぞ。
逆に親がふざけてるほうが子供はしっかりすると思うんだけどな。俺は一番身近にいる人、影響力のある人の逆を行こうとしてた、と最近気づかされるね。変わったことして個性と勘違いしていたのだと思うと穴を掘って入って上から土をかけたくなるけどね。

10:53 am  

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