5.13.2005

フランス料理、キリスト教の正体

仕事、ホテルで宿泊してきました。夕食は社員6人でフランス料理を食べた。久々のバブリー。何を食べてるかよく分からなかったが、美味しかった。伊勢エビとか、フカヒレスープとか、ホアグラとか、トリュフとか、とかとかとか。料理ごとに変わるフォークとか。でも、鯛の刺身みたいなやつにオリーブオイルといくらが添えられたような料理。外人さんの上司に、何があってフランス料理と呼べるのか、とアホな質問をしてみる。「バターとクリームが多くて、ソースがでーんって乗ってる感じ」、とイマイチ納得行く答えではなかったが、訳わかってないのは自分だけでないということでその場では問い詰めないことにする。

ワイン2杯ちょっとでお眠モードになってしまい、会話の盛り上がり具合に一切お構いなく、部屋に退散。最近、酒を飲むと急激に眠くなるのと、私に酒を勧めた人に対して態度が悪くなる、あまりよろしくない傾向。でも本当に飲めないからこうなってしまう。とにかく、意識モーローな状態でシャンプーで洗ったんだかリンスで洗ったんだか、それよりタバコはどこだ、となんとか寝る支度を済ませてベッドにたどり着く。さっさと寝ればいいのに、「ふぅ~」とくつろいでみる。

ベッド側の引き出しに、キリスト教の聖書が入ってる。海外のホテルでもよくあることだが、これだけ限りなく無宗教な日本でも、聖書が置いてあるのがなんだか不思議に思えてくる。久しぶりに開いてみる。知らない人もいると思うが、私の父親は一応、キリスト教の牧師さんで、私も「それ系」の育ちでした。ということもあって、聖書は何度か読んだことがあったのです。懐かしい。今は、多分、私はキリスト教ではない。

私はあまり好きじゃないんです、「キリスト教」の連中って。別に教えが悪い、っていうわけでもなくてさ。人殺しちゃあいけない、盗んじゃダメ、・・・そこらへんび教えは別に、全然好きなんだけどさ。こういうこと言ってると、親父に半殺しにされるんだろうけど。世界の様々な宗教の内、歴史的に見ても、一番押し付けがましい宗教なような気がする。よう分からんけど。オイラは神様がいればステキだなと思っていて、ということはどちらかというと「いるんじゃないですかね」的な願望的考え混ざりの変なヤツなのだが、口が裂けてもやらないのは、他人の神に口出すこと。自分と自分の神って、ガチンコの関係だと思うのよね。人間同士で「神があーだこーだ、だからお前はこうしろ」って・・・なんか違う。一人がこっちの空気をつかんでて、違う人が別のところの空気をつかんでる、見たいな、パントマイム。

だから、ベッドの側に、やる気なさ気に、聖書がぽんと置いてあったのがなんとなく、あっさりしてて、よかったのかな。よう分からん。

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