9.25.2011

昭和59年の赤組

俺たち「昭和59年の赤組」は1985年に杉原小学校を卒業してから、進学先やら就職先によって散らばったけれど、なんだかんだいって地元を離れなかった者や出戻りが多い。綱引きのリーダーのてっちゃんは家の酒屋を継いだ。騎馬戦大将のキモッティこと木元は最近、都内の病院をやめて杉原市で小児科クリニックを開業した。組体操の上手かった加代子は結婚に失敗し、広島のマンションを引き払っていまは実家で充電していると聞く。俺は大リレーの17人中16番手の宮本、現在パチンコ屋でバイト中。アンカーだった市原は今は商社マンで、単身赴任で中国の大連にいる。ちなみに白組のマドンナだった真理子とちょこちょこ会ってるらしい。少しばかりのスキャンダルだ。

説明が遅れたが、昭和59年の赤組というのは、上記メンバーを含むあの時の杉原小学校の秋季大運動会の赤組の有志ことだ。運動会で組が一緒だったなんて、確かに大した縁ではない。なぜこのような儚いつながりが僕らの記憶に留まっているかというと、あの運動会で記録した歴史上の赤組の大敗だった。運動会は基本的に勝敗が僅差で決まるようにできているが、俺たちはその仕組みをも圧倒する弱さだった。たしかに一つも勝ち点を取れなかった。すべての点が敗者への情けに過ぎなかったのだ。勝敗など普段気にしない親どもすら、赤組の子供にかける言葉が見つけられずにいた。

もちろん、こんな名目で敢えてあつまることも今更ないが、今でも当時のメンバーと街でばったり会うと、あの時の思い出話がでたりもする。

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