11.17.2009

あなたの子だから

私の名前は熊之手啓二。私は生まれたときから、右腕がない。

両親はある山奥で暮らしていたことから、ずーっと家族三人の環境で育ってきた。母親も、父親もそれぞれ立派な腕が二本、あるけれども、私だけ左腕一本であることに対して何の特別使いはしなかった。巻き割りだって、水くみだって、狩りも片手でするようになっていった。一度だけ、母親に、なぜ私はこうなのか尋ねたことがあるが、知らないわ、と言われてからその話はお互い二度と触れることはなかった。唯一、私の親から見受けられた気遣い、というものがあったとすれば、私の身体に触れるときは決して両手で触れることはなかった。頭をなでられるときも、抱きしめられるときも、怒られてケツを叩かれるときも、ぜんぶ片腕ずつだった。

私はある日、山道で自分の右腕をひろった。なぜ自分の右腕と判別できたかというと、自分の左腕とそっくりだったからだ。肌の色、太さ、爪の形、すべて完璧だった。右肩にはめ込むと案の定、生まれつきからあったからのようにぴったりはまり、自由に動かすこともできた。両親にも右腕を見せたが、二人は喜んでくれた。それは、よかったな。大事にするんだぞ、と。私は、幸せだった。

ところが、また別の日山道を歩いていると、盗賊に腕をとられてしまった。いや、彼らは私の腕をぶんどろうとしたのではなく、私が右腕で抱えていた斧を取り上げようとする過程で、右腕ごと引っこ抜いてしまったのだった。そのまま、去っていってしまった。その右腕と出会うことは二度となかった。私は右腕を愛していたので、たくさん泣いた。

そういう運命だったのよ、と母親は言う。まるで、めぐり合えたものと別れがいずれくることを前から悟っていたかのように。お前が自分の右腕だと思っていても、一緒にならない運命は変わらないものなの。でも、なぜ神様は私のために作られたような右腕と私をめぐり合わせるの?とたずねた。

母は、それはあなたが愛を知るために、少しだけその腕との時間を下さったのよ、という。それでよかったじゃない。そのとき、母ややさしさ故言わなかったのだろうが、彼女はそのときから気づいていたのだと思う。私が自分のものと勘違いしていた「右腕」の親指の付け根が、手のひらの左にあったことを。

ぜんぜんよくないが、私は今日も左腕一本で無事に暮らしている。まるで左腕の生き写しのような、右腕を夢見ながら。

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