1.08.2009

ロバの子供よ美しく

小さい頃は、「親」は僕にとって一言で言えば絶対的な存在だったと思います。親の言動一つ一つがまぎれもない正義であり、真実であり、最も人生の正解であると疑いもしなかった気がします。ただ、親も子も年をとるにつれて、僕の視点が変わってきたせいか、あるいは親が実際気を抜きはじめたせいか、一時期スーパーマンに見えた人物が気がづけば限りなく凡人になっていました。

そんなひらめきによって、突然親がもっと好きになったとかキライになったとか明確な結果はなく、ただ自然に受け入れるようになったと思います。親だって愚痴るし、悪口言うし、怠けたりするし、時にはずるかったり頭でっかちになったり異常に心が狭かったり。ようは、己と同じように。当たり前のことだと思います。

立場が逆転して今度は自分が家庭を持つようになり、どんな親を目指すべきか、なんてこと、時々考えたりします。子供が生まれる前までは、いわゆるスーパーマンになってやろうじゃないの、と意気込んでいたと思います。自分は親の二の舞になるまい、と。極端に言えば、今から死ぬまで規則正しい生活、理性を常に保ち、本当に大事なときに限ってガツンと激怒し、常に家族のことを優先し、育て、養い、夢を与え、逃げず、やさしくあかるくかしこくするどくまるくがまんづよく、ゆれずうらぎらない。

今でも上記を諦めたわけではないけれども、全てにおいて100点とれるわけありません。それでも、心のどこかで子供だけの前ではちょっと理想像を見せ付けるように作ってる部分も正直あると思います。それは一種の「嘘」なのか、どうか。果たして子馬に対してユニコーンになれ、というのはフェアなのか。

それとも、角が生えるように死ぬまで念じることに意味はあるのか。
それとも、馬はあくまでも馬なりに。微妙なところだと思います。

少なくとも、僕はどれが正しいか分かりません。
少なくとも、100%素で行くのは正しくない以前に、僕は恥ずかしい。

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