2.19.2008

耳なし阿修羅

野村という男は、実はの事を言うと二重人格の持ち主だ。背広にボールペンをしまうとき、右側の内ポケットか左側の内ポケットにしまうかの違いで、人格が切り替わってしまう。右側の場合は、横断歩道の赤信号をまもる。左側の場合は、必ずといってもいいほど信号無視をしてしまう人格になってしまう。やっかいなことに野村という男は二重人格であると同時に両手利きでもあり、いつボールペンを右側にしまうか左側にしまうかは完全に不定期である。一日おきに変わったり、右側にしまいっぱなしの状態が半年以上続くときもあったりする。

そんな野村はある日、左側にボールペンをさして道を歩いていた。とある横断歩道で、案の定、赤信号をまったく気にせず道を渡ろうとした。いつもは車の通りも少ない横断歩道なので何事もないが、その日は運が悪かったとしか言いようがなく、大型トレーラーにひかれそうになった。トレーラーの運転手はギリギリのタイミングでハンドルをめいっぱり切り、野村との衝突を避けたが、そのまま近所のパン屋さんに正面から突っ込んでしまった。運転手はむち打ちの程度の怪我で済んだが、不幸なことにパン屋の店番をしていたおばさんがその事故で亡くなってしまった。

そんな事故が、昔あった。

野村は残念ながら自分の二重人格に気づくこともなく、今日も平和に暮らしている。あの日の出来事はあくまでも彼にとっては「怖かった日」、または「命拾いした日」としてしか記憶に残っていない。彼が事故の大きな原因であったことは否めないが、彼に悪意があってこういう事態になったわけでもない。

神のほかで知りうる三人目の私にしてみれば、これほどの心残りはない。

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