7.19.2007

良し悪し足、靴苦痛

本か何かで読んで、騙されたと思ってジョギングをはじめてから、しばらく経ちます。

私は、決して早く走れるわけでもなく、そして長い距離も走れません。皇居周りで見かける美女たちの華麗さもなく、ムサいのが一匹下向いてゼーハーしながら夜道をドシドシ突進してるのがお約束の体制です。そして正直に言ってしまえば、走ってるときは全然、楽しくなんかないです。公園の景色は基本的に気を紛らわすために存在し、江東区が誇る数々の橋は大小問わず憎い「ミニ丘」のほかなんでもありません。走ってるときはゴールまでの距離、すなわちいつ止まることができるのか、そんな後ろ向きな発想しか思い浮かびません。マメできるし。終わった瞬間だけはうれしいけど。

そんな中、ジョギングをやめられない理由は、少しは健康になったかもしれないので敢えて後退するのがイヤであることと、一日分燃焼したということで罪悪感なしでよく眠れるようになったことです。前向きな理由は強いていえば、長くやれば少しはお歌の呼吸が伸びるかもしれないという淡い希望と、長くやれば少しはモテたりしないかなぁ、といういわば下心です。長生きすれば、何か現状以上に言い事あるかもしれない。そんなわけで、当面はジョギングを続けるのだと思います。

ただひとつ、とても勉強になったことがあります。
私は走ることに対して大きな勘違いをしていたことに気づきました。

当初は、走っていればそのうち「苦」が「楽」になると思っていました。身体は何かと丈夫になっていくはずですし、確かに自分でも分かるくらい走れる距離やスピードは大分改善したと思います。でも、不思議なことにいくら走っても「苦」が一向に改善しないのです。はじめて走った5キロの苦痛と、今走る5キロの苦痛は同じです。身体は一定の距離を一定のペースで走る能力を自覚しはじめましたが、同じ痛みを感じ続けるのはあくまでも自分の未熟な心なのだと気づきました。

「出来る子」と「やりたくない子」が同居しているようです。

それさえ分かってしまえば、ね。やりようが色々あります。痛みは痛み、死にゃせんってね。もしかして有名なマラソンランナーでも、尋常でない身体能力を身につけていながらも、私と同じ痛みを感じているのかもしれません。

痛くないわけ、無いわけで。ん?

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