12.07.2006

時が止まるとき

私は、都内の保険会社に勤めるサラリーマンだ。

私は通勤や顧客訪問で電車に乗るとき、ドア脇に立つのが好きだ。ここに立っていると、いくら人が出入りしようと、大抵立ち居地を変えなくても済むのである。それだけ他人がその角に割り込むことは難しい。長旅でもずーっとボーっとしていられる場所である。座ると、返って席を譲るゆずるべき人がいないかと気になってしまう。

必ずしも毎回、好みの角を確保できるわけでない。ものの弾みであろうが立ち居地がシルバーシートの正面になることが、割かし多いと思う。

そんなある日、私はある得意先と面談するためにちょっとした郊外に行くことになり、運命は再び私をシルバーシートの正面に立たせた。三人用のシルバーシートには三人の老人がすでに腰を掛けていた。じいさん、じいさん、そのじいさんのばあさん。私はドアに一番近いおじいさんの前だった。

次の駅までの間隔が長い。15分くらいだったか。電車は大きな川を渡ろうとしていた。とても平和な風景だった。周りに建物があまりないから、夕暮れがとてもきれいだ。橋の手前の土手には犬の散歩をする青年、向こう側では子供の手をつなぐ買い物帰りの奥さまが小さく見える。品のいいベッドタウンだ。この橋は何度も渡るが、渡ると時が止まったかのような懐かしさを覚える。

「座るかね。」

突然どこから声を掛けられたと思ったら、正面のじいさんだった。電車はちょうど橋を渡りきったところだった。正直、対応に困った。じいさんはにっこり笑っている。

「いえ、大丈夫です。」

目を合わせないようにした。

「ワシはもう座るのに疲れたんじゃ。座りなされ。」

じいさんは腰を上げようとしたが、思わず私はひざを曲げて両手で「まーまー」のポーズをとってしまう。先の駅まで大分距離がある。じいさんの席をとってしまったらまずいと感じたのだった。

「いいんじゃ、ワシはもう降りるんじゃ。」

だめだ、こいつは完全にボケてやがる。

じいさんが強引に立ち上がるので、私は後ずさりをせざるを得なかった。ちょっとふて腐れたのか、じいさんはドア脇に立つ人のところへ割り込んで両手で手すりをがっちりつかむ。

「どうぞと言っておるのに、座ればいいだろう。」

ポッカリ空いた席を前に、どうも複雑な気持ちだ。車内も空いてるわけでないので、このままでは周りに迷惑だ。仕方がないと思い、座ろうと思った瞬間、右に立つ若い女性が私の右腕をつかむ。あまりにも強くつかむので驚いた。彼女はとても怯えた表情だ。小さな声で私にささやく。

「そこに座ってはだめ。」

シルバーシートに残された老夫婦がもの凄い形相で私をにらんでいたのだった。

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