8.15.2005

やっぱ避けられない

遅れましたが、終戦から60年たったそうですね。
昔の話でありながらも現実の世界に引きずり込まれました。

真実はフィクションより奇妙だという。フィクションというのは書いた人の想像の限界に縛られているが、実際起きた出来事は何にも縛られない。起きたことは起きた、そしてそれが想像を絶することはヤブサカでないわけで。被爆者の写真とかを見てると、それを痛感するのです。一つだけの兵器が、これだけ様々な、複雑かつ残虐な殺し方をできるだなんて、全て網羅していた人はいなかったのではないかと勝手ながら思う。爆風で目と内臓が体から飛び出す、なんて想定できたのであろうか。原爆を目論んだ政治家や科学者の青写真はどのようなフィクションを描いていたのだろう。現実と大差なかったのか。

アメリカがいかに短気であった。だとか。せっかくウン十億ドルかけて作った原爆をいずれはどこかに落とさないと開発に投じた投資家に説明がつかなかった。だとか。「落とした側」をひっくるめて悪者として片付けてしまうのも、空の議論なのは分かってる。でも、僕は軍事分析なんかしたこともないから、日本の一般市民に攻撃を仕掛けたことによって、そして一瞬にて日本を諦めさせることによって、どれだけの他の命が救われたかなんて検討もつかない。日本人のかわりに他が死ねばよかったんだ、なんていい切れるわけも無い。裁断を下すこともできない。

アメリカが嫌いかって?全然好きだよ、育ったし。結局は、善・悪じゃなくて、勝者・敗者の話になってしまう。それでも、何かを非難したい、誰かのせいにしたい。「戦争」だとかただの「名詞」でなくて。誰かさんは「戦争」に殺されたんじゃなくて、他の「誰か」に殺された。

その中で、僕は今残されているとてもとてもリアルな形跡を見て、とにかくゾッとする衝撃を受けていることだけが確かだ。見る度にゾッとする。何か間違ってこうなったんだよね?命の尊さを単純に数で表せないのであれば、どうやって?なぜ人は殺しあうの?

とても幼稚な疑問ばかりで申し訳ないんだけど。いざ子供に問われる日がきたらすごく困ることに気付いたので、焦ってみる。人は愚かだねえ、と友人と共に哀れむのと話が少し違う。愚かのままじゃあダメだから、戦争はダメなの!ダメダメダメ!分かった?!めちゃくちゃ痛いねんゾ!!原爆はおろか、ミサイルも手榴弾も地雷もクビチョンパする剣も結果は同じ!!って、半トラウマ覚悟で叩き込まなきゃあならないのか。それとも子供はこの写真を見ただけで分かってくれるのだろうか。

ただのフィクションにならせては成らないのは確かなんだけど。気付けばベトナムすら見てない人が、戦争の真っ最中に子供を授かったしまったわけです。

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