3.22.2005

形見と出会う

月曜日、中央区は八丁堀に出かける。東京駅から1、2キロ離れた古いマンションの一室。父親がバブル期に買ったもので、そこに住んだことはない。結局20年間、時には人に貸したり、時には父親自身が一時帰国の際に使ったり、とにかく中途半端な位置づけにあった。父親は最近また賃貸に出すことを決心したらしく、海外からの遠隔操作で私と叔父に荷物の整理を依頼していたのである。

「いらないものは捨てていいから」。古い布団や食器など、殆どゴミの処理だと思い込んでいたのでナメてかかったのだが、次から次へと「捨てられない」物が出てくるにつれて、このマンションが我が家の蔵として機能していたことに気づく。一番古いものでは大正時代の写真のアルバム。戦闘機の写真。赤子から年寄りまでカメラを不思議そうに見つめる家族写真。魂吸い取られるんじゃねーか状態である。実家はもうないので、何年も人が出入りすることにより、我が家の歴史がこの今にも倒れそうなマンションに一つずつ、ゆっくりと溜まっていったようだ。

私が午前9時過ぎにマンションについた頃、叔父と叔母はすでにせっせと頑張っていた。大きなゴミ袋を除くと、切り込みの人形をひとつ発見。子供の頃の思い出がぶわーっとよみがえる。母側のばあさんが作ったものである。記憶が正しければばあさんは1988年に糖尿病で亡くなったのだが、当時3人兄弟の末っ子だった私をかわいがってくれた記憶が鮮明に残っている。幽霊をなんとなく信じてる私は、今でも守護霊がついてくれているのであれば多分あのばあさんだと思いこんでいる。

叔父も特に悪意があったわけではなく、他にも沢山人形があったため、右手を失っているこの一つだけを捨てることにしたらしい。髪の毛もはがれそうだ。とりあえずゴミ袋から救出し、私の部屋で飾ることにした。なんか、目あっちゃったし。日本人形は恐い、というイメージもあったが、私にとってこの人形の顔は、ばあさんとのつながり故かフツーに親しめる表情に見えた。

コメント0archive

Post a Comment

<< Home