1.20.2009

快速幽霊列車

私の名前は三津葉昭二。56歳の会社員だ。

豊島区在住。巣鴨駅から20分くらい歩いたところにある、小さな古アパートの二階部屋で暮らしている。ここから新宿にある会社に通っている。こんなご時世だが、かれこれ30年以上も同じ会社で勤めさせてもらっている。家族も親戚もいない。寂しいと思うことはたまにあるが、独り身というのも気軽なもので捨てがたい。いまさら、他人の重荷にはなりたくてもなれまいと多少諦めている部分も、ある。これでも、私は正直恵まれている方だと自負している。

定年退職してからは、その後も静かに暮らし、身の回りのことが自分でできなくなったら貯金を使って老人ホームに自ら入ろうと思う。私の人生は、それ以上でもそれ以下でもない。これで、いいと思う。

私の部屋を幽霊列車が通過するようになったのは、そんな人生計画を思い描きはじめた時期とちょうど重なったのだと思う。私の部屋の玄関のとなりに、鉄格子のついた小さな窓がある。午後10時くらいに部屋から窓の外をのぞくと、そいつは玄関のすぐ外を通過する、2階の外の廊下を線路にしたかのように。列車は音をたてないが、割とゆっくり通るので、よく見れば乗客の顔が確認できる。客数はまばら、その人たちの表情は普段乗っている本物の電車とさほど変わらない。大人も子供も、男も女も。元気そうな笑顔も、穏やかな表情も、悲しそうな人も。

毎日通ってるかどうかは分からないが、私は、時々無性にその幽霊列車が見たくなる。見たいときは、9時45分ごろに椅子を窓の側において、片手にコーヒーを持ってじっと待つ。時々、乗客と一瞬目があったりする。いまのところ、見たい日は見れているので毎日通過しているものだと思う。

そんな中、一つ気づいたことがある。人は不思議な出来事が起きると、まず当たり前のように自分に何らかの原因があるのではないかと思いがちだ。私だって、はじめて幽霊列車に気づいたとき、とうとうお迎えが来たと思い込んでしばらく窓に近づけなかった。でも、十数年も同じことを繰り返していると、この幽霊列車がいかに自分と関係がないことか気づかされていた。列車はたまたま、私の部屋の前を通過しているだけのこと、である。

それ以上でもそれ以下でもない、私の小さな楽しみである。

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