1.25.2007

思い出ばなし

僕は学生時代に、レストランのアルバイトをしていた。当時は親とすこぶる仲が悪かった。仕送りを断って、はじめたのがきっかけだった。今からでも自立しちゃうもんね、という愚かな考えだった。なぜ愚かだったかというと、「ガクヒ」という自分には得体の知れない巨額を払ってもらいながら、生活費だけ自分で稼いで「自立ごっこ」をしていたことになる。普通にやりゃあいいことだが、その時の、僕の親に対する態度は一言で最悪だったし、ひどく傷つけたこともあったと思う。悔いがあるとすれば、その時もっと上手くやれたんじゃないかな、というモヤモヤである。その経験から、何か学べたと思っていたい。

前置きが長くなった。

その仕事はなにも特別なものでなく、ウェイターとバーテンを交互にやるような内容だった。「シーブリーズ」とか、「テキーラの朝焼け」とか、わけの分からないカクテルの名前もたくさん覚えたし、大皿をいっぺんに十枚下げるというくだらない技も身につけた。とにかく給料は安かった。僕がもう少し要領の良い子だったなら、「割に合わない」ということに気づきもう少し夢とか勉強とか彼女とかにでも力を入れるべきだったと思うが、その時は「オイラ働いちゃってるもんね」という実感、思い返せば実に単純なモチベーションが、「何の将来の役にたたない」仕事を続ける原因になってたと思う。走りながら、一旦立ち止まって物事を考え直すことが面倒くさかった。気がつけば卒業間際で就職のつてもなく、僕の全財産は2,000円だった。その話はまた、いつか。

印象に残っているのは、そのレストランの厨房で働いていた不法滞在のエルサルバドル人のじいさんと、同様におそらく不法滞在をしていたメキシコ人の兄ちゃんである。一言でいえばどうしようもないやつらだった。祖国に仕送りでもするつもりだったのであろうが、稼いだ金は酒に。酔っ払ったまま出勤する日もしょっちゅうで、店長によくどなられていた。ただ、二人ともどことなく明るい性格で立ち直りは早かった。じいさんの方の笑顔をよく覚えている。ニッと笑うと金歯と銀歯と虫歯がずらずらーっと。酒臭い、きったないトウモロコシが笑っているようだった。

スペイン語(だと思う)をちょっと覚えた。

「ブエノ」 = 「良い」

「ノー・ブエノ」 = 「悪い」

「カリエンテ」 = 「熱い」

「ノー・カリエンテ」 = 「熱くない」

「アキ」 = 「これ」

「アヤ」 = 「あれ」

「プート」 = 「?」(汚い言葉、おま○こと思われる)

これだけの言葉にジェスチャーとか声の強弱をちょっと加えれば、なんとかなってしまうものだった。笑いをとりたいときは、真顔で手招きをし、近づいてきた彼らの耳に「プート」とそっと、ささやく。百発百中で、大爆笑だった。

よくわかんないけど、すごく楽しい日々だった。

コメント0archive

Post a Comment

<< Home