5.09.2006

アルカリ延命

モノを大事にする、ってなんなんでしょうね。

我が家ではいつも、息子のオモチャが散乱しています。オモチャたちの大半は、どこかしら壊れていたり、部品がなくなっていたりします。機関車トーマスの顔が外れていたり、ブルドーザーのゴムのキャタピラの部品がなかったり。ときには、身元がまったく分からないプラスチックの破片も。一見、無様な姿になってしまったオモチャたちですが、「遊び潰した」という風にとらえれば、オモチャもハッピーなのでは、と思ったりします。

気付けば価値観が良からぬ方向に傾いちゃったんだな、なんて時々思います。一度壊れてしまったオモチャをみると、無意識に「遊び終わった」という風に考えちゃってたような気がするんです。まだまだ真っ当なオモチャであることを見失ってて。子供は子供で、オモチャの状態を問わず、僕の理解できないパターンに沿って楽しんでる。今日は壊れた線路をつなげてようとして、次の日はくまのプーさんのクルクル回るへんなヤツ。だから、時々僕が忘れかけてた、ボロボロのオモチャを持ち歩いては、僕を驚かせています。あ、こんなのもあったんだなぁ、って。どこから引っ張り出してきたのやら。勝手に微笑ましく思っているのも親バカの内ですが。至って普通のことなんでしょうけど。

オモチャを投げると、叱るんですけどね。
理不尽かもしれませんが。なぜか。
投げちゃいけないな、って感じるんです。

つい最近、電池で動くブルドーザーが大流行したんです。一生懸命遊んでて。思ったより電池の消耗が早くて、何日か経ったら動かなくなってしまったんです。こういう時に限って父親に頼ってくるわけですが、「電池なくなっちゃったよ?ねぇ」と。電池のオモチャは初めてではないのですが、電池の交換をするまで崩壊せずに生き残ったのは初めてかもしれません。

プラスのドライバーを探してるときに、ふと思ったことでした。

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