9.09.2014

私の名前は安西文夫

私の名前は安西、今年61才。周囲にはアズマという名で通している。川崎駅近くの多摩川の鉄橋の下で暮らしている。先週だったか、大倉と名乗る男が訪ねてきた。

自分は用心深い方だと思う。こういう生活をしていて、関わろうとする輩は大概ろくなことを考えていない。高い報酬に騙されて薬物の運び屋をさせられた者や、名前と顔だけを借りたいと言われ殺人容疑に巻き込まれた者もいる。無論、きれいさっぱりいなくなった知り合いもいる。

「ごめんください」

その男は大きな声で、何度も呼びかけて来た。私はその声を無視したが、声が近づくにつれて足音も聞こえてきた。横たわったまま覗き穴に顔を向けると、ダンボール家のすぐ外に背筋をピンと伸ばした紳士が立っていて、その笑顔の中で歯がキラリと光っていた。

歳は私と同じくらいだが、生き物がまったく違う。白髪混じりの髪の毛は後ろ流しに硬められ、堀の深い顔が際立っている。はっきり折り目のついた紺のスーツに、埃もすべり落ちてしまいそうなピカピカの革靴をはいていた。

「腹減りませんか」

男は右手に持っていたレジ袋を前に出した。覗き穴から目を離さず、私は気配を完全に消した。

「私は大倉といいます。また来週来ます。」

男が残していったレジ袋にはコーラとチョコレートとのり弁当が入っていた。

コメント0archive

Post a Comment

<< Home