11.13.2012

名前と住所

私の名前は橋本雄介だと思う。

苗字の橋本は確かなのだが、下の名前が雄介か陽介だったか、記憶が曖昧だ。私はこの五年間一人で山にこもっていて、日常生活では名前どころかほとんど言葉を発していないのが原因だと考える。

ここ奥多摩には毎日のように観光客で賑わう山もあれば、全く人を寄せ付けない山もある。遠い地方の電力会社が所有していてまったく管理の行き届いてない山、大昔に大勢の侍が神隠しにあったいわく付きの山など色々ある。私の選んだ山は呪いがかかってるとの噂で、行方不明者もでてることからなおタチ悪い。好都合なもので、一度も人と会ったことがない。いっそのこと、呪いを補強してやろうとあちこちに藁人形でもくぎ打ちしようと思ったが、その必要もなさそうなのでやめた。

暮らしは快適だ。主な食物は木の実で、ドライフルーツやジャムなど保存食もできる。芋のようなものもあるし、ごくたまに狩りをして肉も食べている。つらいのは冬ごもりだ。一月と二月は寒さをしのぐためほとんど洞窟をでないし、毎日同じ保存食ばかりで少し飽きてしまう。そんなこともあるが、おおむね気に入っている。

先日、私の住まいの洞窟の奥を探索していたら、サバ缶のゴミを見つけた。錆び具合とラベルを見た限りかなり古い。賞味期限が平成11年5月。更に洞窟の奥へ進むと、明らかにここに誰かが生活していた跡が次々と見つかる。割り箸、熊鈴、毛布の残骸。

物から推測すると命をたつ意思は感じられないので、どこかで見切りをつけて下山したのか、それとも違う山に引っ越したのかも知れない。

勝手ながら、時代を超えて同じ山を選んだかつての住民をとても身近に感じた。いまごろどこで暮らしているのだろうか。家族はいたのか。またここに戻ってきたくなっているのか、それともこの山の生活は既に忘れているだろうか。

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