3.15.2014

そのような星の下で

フォークシンガーは大体浮浪者でジャズ演奏者は大概シャブ漬け。自分の家はもたず友人宅を転々とまわり、借りた金の返すあてはもちろんない。その代わり音楽に全身全霊を投じることで、人に迷惑をかけながらも愛され生かされ続ける、そんなのが当たり前な時代もあった。その特別な者たちの多くにおいては、いまは音楽家の肩書を落とし、年老いた浮浪者やシャブ中として街のあちこちに身を潜めている。

私の父もそのような人間の一人だ。いまはどこにいるのか、生きているのかわからない。どうやらフォークシンガーだったらしい。私を一人で育ててくれた母に言わせればろくでもないの一言で片付けられる。私も少なからずそう思っているが、父に関していい思い出がまったくなかった訳ではない。

チップや出演料がたくさんでた日は、父は酔っ払って不思議な買い物をしてくる癖があった。捨てきれないほどの量のガラクタが実家にいまでも残っている。イルカの形の彫刻や津軽三味線。柔道着やそろばん、ウイスキー、江戸時代の東京の地図、コーヒー豆をゴリゴリするやつ。うんざりする母の傍ら、私は父がどんな無茶なものを持って帰るのか、いつも楽しみにしていた。

父は私に一度も音楽の話をしなかった。歌も聞いたことがない。

母に申し訳ないが私は今日も歌を歌っている。

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